期 日 | 2010年4月17日(土)17:00〜 |
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場 所 | ◯◯◯◯◯ |
出席者 | 21名 男性16名・女性5名 |
第2回関東支部関東辰巳会
関東辰巳会の夕べ
3組 布川雅俊 (株)ニコフ執行役員
4時半会場到着。地下1階のお店入口でちらっと中をうかがう。すでに相当数の方が歓談中。おっと、見知らぬ顔ばかり。おかしい。確率論からすれば誰か旧知の人がいてもいいはずだが。ええい、ままよ。
お店に入ったはいいが、どこに身を置くべきか。すかさず、大島会長から呼び止められる。布川なんて名前と顔知っているのだろうか、疑問。知っているとすれば、同級生掌握術に長けている会長、すごい。続いて、ずずっと奥の方へ進むと、かの有名な山本順寛先生のお顔が見える。今までお話ししたことはないけれど、インターネットでアップツーデートなお顔は鮮明に焼き付いている。
さらに奥に進むと行き止まり。そこで、一人こちらに軽く手を挙げてくれる人がいる。誰なのだろう。ちょっとわからない。でも、そのテーブルに行こう。満杯だが、椅子を持ってそのテーブルに加わる。およよ。確実に記憶にある顔がある。阿部(坂東)幸二くん。1年生のクラスメートだ。さらにいた。すぐにはわからなかったが小笠久君。約40年ぶりだから。
その後、阿部(坂東)くんから、勝浦君がいるよと指摘された。さっき手を挙げてくれたのは勝浦君だった。同じクラスだったことはないけれど、大学生の夏休み、阿波踊りの際、大学連で一緒して以来。お互いに当時は痩せていたが、確かに紛れもなくご本人だ。
さて、5時の定刻になって全員が一連のテーブルに向かい合い形で着席。そこで、また発見あり。1年生の時のクラスメート久慈(宮田)洋子さま。そして、2年クラスメートの飯塚(三木)育子さま。
飯塚(三木)さんとは2年生の時にクラスでお話ししたことがあります。当時と今と全然お変わりない印象でした。もう、近々おばあさまになられるようでうらやましいかぎりです。 久慈さんのほうも、外見は全くお変わりありません。当時から、存在感のある有名人でしたが、私はお話ししたことはありませんでした。その久慈さんから、布川君と話しかけられました。その昔、ビビった記憶が蘇りました。
ところで、辰巳会の開宴後、端っこの座席が一つ空いていると思ったら、少し遅れて到着された大屋敷(原田)純子先生がお座りになりました。同じクラスになったことはなく、これまでお話ししたことも全くありません。眼鏡をおかけになっていましたが、しかし、なぜか一目見てすぐ大屋敷純子さまだとわかりました。そういう存在感のある人っているものだと思いました。そして、その風貌がまさに医学部女性教授だと思いました。
そうこうしているうちに、大屋敷純子さまの前の空席に、元木君が移動してきました。最初、元木君とは気づきませんでした。どうして僕の小学生の頃を知っているのかと思いつつ、話を聞いていて途中で元木君だとわかりました。たいへん失礼しました。高校生の時のイメージしかなかったので、申し訳ありませんでした。元木君の名刺をいただいて驚きました。一級建築士やら中小企業診断士やらその他多数、理系と文系の両刀使いだったのですか。
辰巳会翌日の余韻に任せて、駄文を投稿しました。
昨日、お会いした人、そして思い出話で書きたいことはまだまだあります。しかし、明日になれば書いたことをきっと少し後悔していることでしょう…つづく
"城南46会HP投稿メール"より抜粋