全国、お薦めの店(Ⅰ)
全国、お薦めの店(Ⅰ)
蔵本 芳弘(1組)
私が美味いと思った、お勧めの店です。興味があればネットで調べてください。
1.郷土料理「酒盃」
- 秋田市役所の裏(秋田市山王)にある居酒屋。評論家、太田和彦氏が全国でも屈指の店と絶賛。“北鹿”“飛良泉”など秋田の銘酒が全て揃っている。カウンターで飲んでいると、鋭い視線を感じ振り向いたら昔のお客様でした。秘湯めぐりと居酒屋探索が趣味の方です。「やはり、お主であったか。何故ここに居る」と聞かれ「タクシーの運転手に案内された」と返事したところ「許せぬ。俺は去年、乳頭温泉の帰りに満席で入れず、1年かけ予約してきたのに」と悔しがりました。互いに偶然の出会いを喜び、2次会は川端のスナックでカラオケ三昧した思い出の店です。
2.ステーキサロン「五丈原」
- A5クラスの広島牛が銀座の半値で食べられる、1日1組しかお客をとらない店です。溜池の路地にあり、政財官界の著名人が利用しています。オーナーは私が広島勤務の頃から付き合いのある方です。厳選されたワイン、ウイスキーが飲めます。日本酒は黒龍、亀の翁など。入店を拒むような分厚い木の扉、テーブルは埋没林の古代木を使った一枚板を使用。異業種のネットワーク作りの場所を提供する目的で開店した店です。オーナーが信頼する人の紹介がないと入れない店です。興味があり連絡いただければ、ご紹介いたします。
3.銀座串焼き「かがやき」
- 阿波弁がやさしい佐古の藍染屋夫婦が営む焼鳥の店。芳水、鳴門鯛など阿波の地酒、すだち酎が銀座で飲めます。また安い!コース料理は¥2500から。会社でよく使っていた焼鳥屋を居抜きのまま開業し、懐かしさで入ったら徳島の人でした。会社の城南OB会で何回か使いましたが、阿波尾鳥が美味い。6時には満席になります。BGMはよしこの、阿波踊りのポスター、藍染ののれん、阿波情緒に浸れます。銀座6丁目、外堀通りのビル2階にあります。徳新の“遠くでトーク”にも掲載されました。
4.魚河岸料理「佃喜知つくきち」
- 兄弟が築地の仲買人という親父の店。マグロの中落ちは絶品です。帝国ホテルのシェフが常連の店。これぞ銀座の居酒屋という雰囲気があります。酒は築地でしか買えない「底抜け」です。新潟“想天坊”の蔵元が作る限定品。銀座6丁目、泰明小学校近くの路地にあります。息子の就職祝いをした店です。
5.Bar「ボルドー」
- 山本五十六が通った銀座のバー。黒澤明が愛飲したロイヤル・ハウス・ホールドを初めて飲んだ店です。銀座7丁目、てんぷら天国の裏に蔦の絡まる洋館があります。分厚い扉をあけるには度胸がいります。山本五十六の座った椅子に座ってみました。米軍はGHQと聖路加病院の真ん中にあるので爆弾を落とさなかったようです。6
6.鳥割烹「末げん」
- 新橋駅前にある明治42年創業の老舗。三島由紀夫が自刃する前日に盾の会メンバーと宴会した店です。ここで平成10年の辰巳会を開催しました。コース料理は1万円以上のところ、私が女将さんに無理を言って値段を下げてもらいました。辰巳会のコース料理は¥8400コースとして定着しました。ランチの親子丼も絶品です。
7.酒蔵「秩父錦」
- 築地、聖路加病院の近く創業260年の秩父の地酒“秩父錦”を出す居酒屋です。関東大震災で焼けなかった風格のある商家でいただく刺身こんにゃくと地酒は最高です。秩父セメントのお客様とよく飲んだ店です。
8.神楽坂の老舗酒場「伊勢藤いせとう」
- 神楽坂の路地にある芸者置屋を居酒屋にした戦前からの隠れた名店です。縄のれんをくぐると囲炉裏にお燗の番をする亭主が座り、お客は静かに“白鷹”の燗酒を飲んでいる。何も言わなくても、お膳にタタミ鰯など4品と2合徳利が出てくる、そんな店です。会社の上司が「君ねえ・・」と小言を言い始めるや「うるせえ、黙れ」と亭主に一喝されました。溜飲が下がりました。芸者がそぞろ歩く石畳、灯りが燈るころの雰囲気はまるで江戸時代のようです。
9.根岸の「鍵屋」
- 居酒屋百名山の表紙に描かれた幕末創業の酒場。JR鶯谷から徒歩5分の住宅地にある。女性はエスコートが必要。酒は菊正宗と櫻正宗、うなぎくりから焼き、冷奴など品数は少ないが酒を堪能できる店です。渋谷清掃工場の建設仲間と閉店まで飲んだ店です。
10.「駒形どじょう」
- 新年会は必ずここでした。工場長の親戚なので貸切りです。初めて食べた時、臭くなく燗酒がすすみました。浅草と江戸の雰囲気がたまりません。
11.「鍋茶屋光琳」
- 明治天皇が泊まった新潟の料亭「鍋茶屋」の姉妹店。古町芸者も呼べます。古町芸者は祇園、新橋と並び3大芸者と言われております。わが社の係りは“あやめ姐さん”で「ふりそでさん」の頃から担当は替わりません。森繁の社長漫遊記で新珠美千代が古町芸者に扮していました。北前船で栄えた古町情緒が堪能できます。
12.「バー町田」
- 鍋茶屋の前にある芸者置屋を改造したレストラン・バーです。1階はカウンター、2階は座敷にテーブル席。本格的なフレンチも味わえます。
13.新潟県、新発田(しばた)駅の駅弁屋「三新軒」
- JR“大人の休日“で企画した駅弁”えび千両ちらし“が有名。俳優、高島兄弟の口コミで話題になりTVで駅弁日本一になった。上野、東京駅で販売しているが30分で売り切れます。東京駅地下の駅弁売り場で三新軒がイクラ丼の実演販売をしております。食べてみてください。
14.おでん「黒百合」
- JR金沢駅名店街にある金沢おでん、どて焼きが名物の老舗。カウンターでは昼から常連客が飲んでいます。出張で必ず立ち寄る店です。特急雷鳥に乗るギリギリまで飲めます。白山固豆腐をつまみに“萬歳楽”“黒帯”の熱燗をよく飲みました。旧制四高生が出入りした香林坊の「赤玉」や五木博之が通った柿の木畠の「高砂」など金沢はおでん屋が多く、香箱蟹のおでんなど高級おでん種もあります。
15.割烹「孫助」
- のど黒の尾かしら付の塩焼きを初めて食べた店です。「新潟では、のど黒は切り身で出す」と言ったら、女将に「加賀百万石の城下町は切り身の魚は出しません」と言われムッとしました。治部煮など加賀料理もありますがランチもあります。クリームコロッケが名物です。長町の武家屋敷に近く、鞍月用水沿いにあり散策の後、立ち寄るのに便利です。つば甚、金城楼、山乃尾など高級料亭は敷居が高いが孫助は観光客も気軽に立ち寄れる店です。
16.Bar「倫敦屋酒場」
- サントリー響の広告で全国バー巡りの1番目に選ばれた店。銀座にもない風格のある名店です。壁一面にウイスキー樽が並んでおり直接バレルからショットグラスに注いでくれます。このグラスがズシッと重くカットはシンプルですがフォルムがぐい飲みのようで「わけてほしい」と懇願しましたが「二度と作れない」と丁重に断られました。オーナーは山口瞳の大ファンで全て山口瞳好みに統一されています。コースターは山口瞳が描いたものです。オーナーは地元メディアで人生相談もやり本も出版する有名人です。話題も豊富です。この店で飲むため金沢に行く人もいるようです。片町交差点の裏に半世紀近く、ひっそりと佇むレンガ作りの店です。
17.松阪牛「スギモト」本店
- 名古屋のお客様と松阪牛の七輪網焼きをよく食べました。創業110年、老舗肉屋の直営店なので他より安いと思います。東京スカイツリーに出店したようです。
18.宮島「岩惣」
- 皇族、内外の著名人が泊まった紅葉谷の渓谷に建つ名旅館です。ルーマニアの女性オペラ歌手を観光案内することになり岩惣で昼食をとりました。あなご、瀬戸内の小魚など小鉢に盛られた料理に歓声をあげていました。いつか泊まってみたい旅館です。
19.天然ふぐ、鱧、釣り料理「上関芸陽」
- 一見客お断りの店。中国電力のエライさんに紹介してもらった店です。親父が上関で漁師をしており釣った天然の桜鯛、鱧、ふぐが食べられます。広島時代、一番美味かった店です。酒は伏見の英勳、天狗舞、獺祭、雨後の月、亀齢が飲めます。麻布十番に昨年、出店したようです。
20.居酒屋「やけっぱち」
- 福本君と4年間よく通いました。安くて美味いサラリーマンの味方のような店です。おでん、もつ鍋など全国的にみてもレベルが高い店です。東急ハンズの裏にありますが2階の奥まった、わかりにくい場所にあります。広島を訪問した同級生とミニ同窓会を何度も開いた店です。女将の娘は東京芸大邦楽科卒です。お琴のコンサートを聴きに行きました。美術大の教授、画家も常連客で店に作品が飾られています。私は女将から頼まれウイスキーを飲んで頬が赤くなった鶯を彫ってプレゼントしました。大変好評だったのでキビタキを彫り焼酎の甕のうえに飾られています。広島へ行く機会があれば見てください。
21.料亭「筑紫亭」
- 城山三郎の「指揮官たちの特攻」に出てくる創業110年の料亭。広島時代、土曜の朝に代理店の社長から電話があり「お昼をご馳走するから駅に来て」と言われた。いきなり新幹線に乗せられ着いた所は大分の中津市でした。福沢諭吉の生家と黒田如水が築城した中津城を見てから案内されたのは登録有形文化財の立派な料亭。離れに通され、真鱧のしゃぶしゃぶを食べました。徳島の鱧も有名ですが上質の鱧は中津産です。鱧で漫画“おいしんぼ“に描かれました。食事のあと宇佐特攻隊の若者が出撃前夜、柱に切りつけた無数の刀傷を見せてもらいました。城山三郎は傷をなでながら涙を流されたそうです。女将は日本の伝統料理、文化を伝えるために全国を講演する文化人です。どうも社長の講演依頼に一人では寂しいので旅の道ずれに選ばれたようです。おかげで美味しい鱧にありつけました。
22.牛鍋「荒井屋」と「太田なわのれん」
- 横浜の仕事をしていた頃、某重役から「牛鍋の荒井屋を知らんのか。仕事してないな」と言われた。明治28年創業の老舗です。太田なわのれんは創業明治元年の牛鍋発祥の店です。どちらも伊勢崎長者町にあり横浜を代表する老舗です。コース料理は鍋が最後に出るので食べ過ぎに注意が必要です。
23.北欧料理「SCANDIA」
- 横浜の大桟橋前にある港ヨコハマを象徴する北欧料理の老舗。スピリットでアクア・ビットを飲みスモーガス・ボードを初めて食べた店です。神奈川で仕事をしていた頃、年末はスカンディヤでディナー。その後、マッカーサーが愛したホテルニューグランドのBar Sea Guardianで飲むのが慣わしでした。
24.江ノ島の旅館「岩本楼」
- 弁天小僧ゆかりの鎌倉時代から続く宿坊。将軍が泊まった宿です。洞窟風呂と登録有形文化財のローマ風呂があります。藤沢に工場があり雪国のお客様を泊めると皆さん窓から見える富士山の絶景に感激、「帰りたくない」と言われます。
25.盛岡「南部どぶろく家」
- 岩手で酒は“どぶろく”を指します。古民家風の板の間にどぶろくの甕がドンと置かれ、ひしゃくで汲んでくれます。隣で“どんこの肝味噌ホイル焼き”を食べていた老人から「魚が大きいから半分食べてくれ」と頼まれました。わが社のことをよくご存知の方で話が弾みました。地酒“南部美人”も堪能。〆にジャージャー麺も食べ楽しい盛岡の一夜でした。
同(Ⅱ)
全国、お薦めの店(Ⅱ)
- 映画「たそがれ清兵衛」のロケ地観光で鶴岡に宿泊。雪の降る中、タクシーの運転手が案内してくれた店で食べたハタハタの湯上げが絶品でした。のど黒のにぎりも初めて食べました。庄内平野は酒どころで“くどき上手”“初孫”“上喜元”と辛口の燗酒を堪能しました。因みに“くどき上手”のラベルは遊女が襟をはだけた妖艶な浮世絵で日本酒ラベル人気No1です。
27.越前蟹と甘エビの民宿「白浜荘」
- カニ剥き早さ日本一!名物女将“ムキムキみっちゃん”の民宿。蟹のシーズンになると地元TVのニュースに必ず出る有名人です。近くの山に風車を建てたので連泊しました。席の横にバケツが置かれ女将の早業で殻がドンドン山積みに!蟹を食べるのが間に合わないぐらいの早業!上司と取り合いになるぐらい美味い!一生であんなに蟹を食べたことがない!蟹好き釣り好きの人にお勧めの越前海岸の宿です。
28.柴又「川甚」
- 創業220年、夏目漱石、谷崎潤一郎に愛され“男はつらいよ”でさくらの結婚式の舞台になりました。川魚料理の店ですが、やはり鰻です。焼き上げるまで酒は広島、竹原の“誠鏡・幻”を飲みながら待ちます。熱燗部門で金賞受賞した銘酒です。新婚の妻と離れで食事した後、矢切の渡しに乗ったことも良い思い出です。
29.野沢温泉「住吉屋」
- 築120年の古民家の宿。地酒“水尾”は野沢温泉でないと飲めません。代理店の支店長からスキーに誘われ家族で住吉屋に泊まりました。木の温もりのある宿です。共同湯は13ヶ所、それぞれ湯が違います。私は“熊の手湯”がお気に入りです。“野沢菜の油いため”を初めて食べて感激しました。
30.目の湯治「貝掛温泉」
- ドライアイを治しに行きました。源泉で目を洗うとすっきりします。ホウ酸が含まれているので効果があり宅急便で源泉を送ってもらえます。苗場スキー場の近く、国道から細い一本道をひたすら行くしかない“日本秘湯を守る会”の一軒宿です。酒は“鶴齢”と新潟限定の“湊屋藤助”が飲めます。
31.越後長岡温泉「嵐渓荘」
- 森君と泊まった秘湯の宿です。燕三条駅から車で30分。つり橋を渡ると水車がある登録有形文化財の木造3階建て。宿の先に道路はなくカモシカ、ムササビが顔をだします、強い塩湯で昔は薬として販売していました。朝の温泉粥は塩加減が絶品。露天風呂で地酒“五十嵐川”を桶に浮かべて飲めます。夏は蛍が乱舞します。
32.美作の名湯、奥津温泉「奥津荘」
- 岡田茉莉子が演技に開眼した映画「秋津温泉」のモデルになった温泉。宗像志功が投宿した宿で有名。津山の殿様の隠し湯「鍵湯」があり河原の源泉が足元から沸きあがります。カジカが鳴きカワガラスが川にもぐる様子が部屋から見えました。母と最後に旅した温泉です。
33.松江のBar「山小舎」
- 松江を代表するBarです。3代目は若いが常連客の気持ちを掴んでいます。隣に島根大の名誉教授が座りビールを一口啜っただけで大金を置いて帰りました。そんな店です。広島の支店長仲間では有名な店です。
34.いずもそば「八雲庵」
- 松江でお昼はお堀端にある「八雲庵」か「神代そば」で食べました。八雲庵はイチローの奥さんが地元なので毎年食べに来るそうです。イチローが名物の鴨南蛮をお代わりしたと仲居さんが熱心に勧めるので食べましたが鴨なんNo1です。
35.そば打ち名人の店「翁 達磨 雪花山房」
- 北広島の山中にある高橋名人の店。ナビがないと行けない辺鄙な場所にあります。新蕎麦の季節はそばがグリーンで香りがたちモチモチした食感がします。人生最高の蕎麦でした。全国に弟子の店があります。北品川の“しながわ翁”は常連でした。焼き味噌をつまみに“上喜元”“四季桜”“真澄”御宿の銘酒“岩の井”が飲めます。
36.会津わっぱ飯「田季野」
- 旧陣屋を移築した会津の郷土料理の店。地酒“飛露喜”を飲み、鰊山椒漬け、“こづゆ”をツマミに酒がすすみます。〆はわっぱ飯です。途中立ち寄った「大内宿」で殿様が絶賛した、長ねぎ1本で食べる“高遠そば”も美味でした。
37.西新宿、新潟家庭料理と利酒師の店、「越後すみよし」
- 亭主が新潟県の観光ポスターを貼っていたので入ったところ新潟出身と判明。酒談義となり「新潟NO1の酒は〆張鶴。今は山形の酒が一番お勧め」と言われました。全国の銘酒100種類を揃えているのは凄い!のっぺ汁など新潟の家庭料理が味わえます。百人町、西新宿保健センターの近く、ミスズビル1階にあります。
38.讃岐うどん「さか田」、うどん三昧「とく彦」
- “さか田”が銀座の頃、ミニ同窓会を開きました。城北OBの坂田さんが打つうどんのコシは強く、いつも行列でした。突然閉店し伝説となりました。今は日比谷に移転し弟子に任せています。本人は8年前、鎌倉の鶴岡八幡宮、裏手の住宅地でうどん三昧“とく彦”という予約しないと入れないうどん屋を経営しています。神奈川でうどんNo1になりました。
39.銀座くいもんや「すだち」
- 銀座8丁目のビルにあるカウンターだけの小さな居酒屋です。“すだち”という店名だから徳島の店かと思いきや京おばんざいの大皿料理の店でした。ママが美人でバイトの女性も美人ぞろい。ママは劇団の女優だったのでバイトも女優の卵が多いみたいです。予算は¥5000程度で銀座にしてはリーズナブルな店です。
40.銀座の焼鳥「鳥長」「伊勢廣」「鳥半」「鳥繁」
- 入社して10年、銀座並木通りの朝日ビルが職場でした。石川啄木が朝日で記者をしていた記念碑があるビルです。建替えるようで寂しいかぎりです。常連だった“鳥一”はフェラガモになり銀座で気軽に飲める店が減っています。まだ銀座で頑張っているのは昭和の香り漂う「鳥長」「伊勢廣」「鳥半」「鳥繁」です。
41.銀座の大衆酒場「樽平」「三州屋」
- 創業300年、山形の樽平酒造の直営店。たまこんにゃく、芋煮で酒がすすみます。博品館裏の路地にあります。旧並木座の路地にある三州屋も名画を観たあとでよく飲みました。銀座で昼から飲める店です。
42.銀座そば処「よし田」
- 創業明治18年の老舗。そば好きの上司とよく名物コロッケそばを食べました。宴会も2階でよく開きました。銀座1丁目の利休庵でミニ同窓会を開きましたが閉店したようで寂しい限りです。
43.銀座「のとだらぼち」
- 能登をPRするため青年会議所の有志が銀座に開き10年以上になります。寒ぶりなど能登から直送の食材と能登の地酒がすべて飲めます。銀座8丁目、日航ホテル近くのビル地下1階にあります。
44.銀座JAZZクラブ「Swing」
- JAZZの好きな先輩とよく聞きに行きました。有楽町前、高速道路下の銀座インズ2階。前田憲男、北村栄治など一流のJAZZメンが出演。ピアノカウンター席がお勧め。食事もできます。
45.銀座の洋食屋「レストランあずま」「グリルスイス」「煉瓦亭」
- 残業の後でお世話になりました。キッチン・フロリダは閉店したが3店とも健在で嬉しい。オニオンソースをかけた“牛のジュージュー焼き”はよく食べました。グリルスイスはカツカレー発祥の店です。煉瓦亭の3階は和室で宴会ができます。
46.Bar「タリスカー」
- タリスカーを愛飲しているので店に通いはじめて15年以上経ちます。タリスカーの品揃えは日本一?木をふんだんに使った落ち着きのあるバーです。銀座7丁目の外堀通りから入った地下1階にあります。
47.消え行く銀座のビアレストラン
- 銀座から“ローゼンケラー”“ピルゼン”“ケテル”“ローマイヤー”“ゲルマニア”とビアレストランが次々と閉店。寂しい限りです。銀座サッポロライオン本店も建替えると銀座らしいビアホールがなくなる!
48.銀座「とんかつ梅林」
- 銀座は何でも高いが梅林のカツ丼はお値打ちだと思う。銀ブラしてお腹がすくといつもカツ丼を食べます。松阪屋の対面を少し入った所です。
49.銀座のおでん「お多幸」「やす幸」
- 会社で“お多幸派”と“やす幸派”に分かれていた。関東風か関西風、庶民派か高級志向かで分かれました。私はお多幸派でした。王さんが行きつけの“おぐ羅“はいつも満席で入れませんでした。
50.「亀戸餃子」
- 餃子しかない!一皿5個で¥250と安い!但し一人2皿以上注文の店!カラシ醤油で食べます。酒は老酒、白酒、高粱酒、デンキブランあり。昔の大将はハーレーに乗っていた。土曜日の午後、クレーム陳謝のあと上司と昼から中国酒の全銘柄を飲み大将から「おたくら、どこの会社?」と呆れられたことがあった。
注) 私の勝手な思い込みで書いた記述です。正確な情報ではないので鵜呑みにしてガッカリしても責任は負いかねます。ネタ切れなので、これにて打ち止めに致します。
同(県別索引)
全国、お薦めの店(県別索引)

前略、蔵本氏作の労作に「県別索引」を作成しましたので投稿します。
この中で3つ(やけっぱち、岩惣、奥津荘)行っています。
あと46(銀座ビアホールは廃業)行きたいですね。
№ | 店 名 | 県 名 | 地区名 |
25 | 南部どぶろく家 | 岩手県 | 盛岡市 |
36 | 田季野 | 福島県 | 会津若松市 |
1 | 酒盃 | 秋田県 | 秋田市 |
26 | すしの長三郎 | 山形県 | 鶴岡市 |
11 | 鍋茶屋光琳 | 新潟県 |
新潟市 |
12 | バー町田 | 新潟県 |
新潟市 |
13 | 三新軒 | 新潟県 |
新発田市 |
30 | 貝掛温泉 | 新潟県 |
湯沢町 |
31 | 嵐溪荘 | 新潟県 |
三条市 |
14 | 黒百合 | 石川県 |
金沢市 |
15 | 孫助 | 石川県 |
金沢市 |
16 | 倫敦屋酒場 | 石川県 |
金沢市 |
27 | 白浜荘 | 福井県 |
福井市 |
29 | 住吉屋 | 長野県 |
野沢温泉村 |
3 | かがやき | 東京都 |
銀座 |
4 | 佃喜吉(つくきち) | 東京都 |
銀座 |
5 | ボルドー | 東京都 |
銀座 |
39 | すだち | 東京都 |
銀座 |
40 | 鳥長・伊勢廣・鳥半・鳥繁 | 東京都 |
銀座 |
41 | 樽平・三州屋 | 東京都 |
銀座 |
42 | よし田 | 東京都 |
銀座 |
43 | のとだらぼち | 東京都 |
銀座 |
44 | SWING | 東京都 |
銀座 |
45 | あずまグリル | 東京都 |
銀座 |
46 | クリスカー | 東京都 |
銀座 |
47 | 銀座ビアホール | 東京都 |
銀座 |
48 | とんかつ梅林 | 東京都 |
銀座 |
49 | お多幸・やす吉 | 東京都 |
銀座 |
50 | 亀戸餃子 | 東京都 |
江東区亀戸 |
2 | 五丈原 | 東京都 |
溜池 |
6 | 末げん | 東京都 |
新橋 |
7 | 秩父錦 | 東京都 |
築地 |
8 | 伊勢藤 | 東京都 |
神楽坂 |
9 | 鍵屋 | 東京都 |
文京区根津 |
10 | 駒形どじょう | 東京都 |
浅草 |
28 | 川甚 | 東京都 |
葛飾柴又 |
37 | 越後すみよし | 東京都 |
西新宿 |
22 | 荒井屋・太田なわのれん | 神奈川県 |
横浜市 |
23 | SCANDIA | 神奈川県 |
横浜市 |
24 | 岩本桜 | 神奈川県 |
江ノ島 |
38 | さか田・とく彦 | 神奈川県 |
鎌倉市 |
17 | スギモト本店 | 愛知県 |
名古屋市 |
32 | 奥津荘 | 岡山県 |
鏡野町 |
18 | 岩惣 | 広島県 |
宮島 |
19 | 上関芸陽 | 広島県 |
広島市 |
20 | やけっぱち | 広島県 |
広島市 |
35 | 翁達雪花山房 | 広島県 |
北広島市 |
33 | 山小舎 | 島根県 |
松江市 |
34 | 八雲庵 | 島根県 |
松江市 |
21 | 筑紫亭 | 大分県 |
中津市 |
同(番外編Ⅰ)
全国、お薦めの店(番外編Ⅰ)
蔵本 芳弘(1組)
その1.北海道石狩市番外地、石狩鍋「あいはら」
- 南欧へ視察旅行に行った仲間と札幌ゴルフ倶楽部、輪厚コースでプレーしました。帰りに案内された店です。石狩新港の灯台が見える地図にない”はまなす”の原野に建つ網元の店です。キタキツネが迎えてくれました。朝、港にあがった一番大きい鮭を鍋にします。キャベツ、メカブ、ながねぎなどと白味噌じたてでいただきます。蝦夷地を体感できる店です。
その2 新潟県村上市、鮭料理「新多久」
- 村上には猫がいない!人が丸ごと鮭を食べるから。塩鮭は切腹を嫌い腹の皮一枚残し尾から吊るす。武家と町屋の文化を色濃く残す町歩きしたくなる城下町です。黒板塀の通りに”新多久”がある。”吉源””能登新”など老舗料亭は敷居が高いが新多久はお昼の弁当があり観光客も立ち寄る店です。”〆張鶴""大洋盛”の全銘柄が飲めます。新巻鮭の老舗”きっかわ”は江戸時代、岩国から来た。幕府に遠慮して吉川の苗字をはばかった。明治になり名乗るようになったと聞かされた。歴史を感じさせる町です。
その3 京浜急行、青物横丁駅 伊豆七島料理「おきみくら」
- ソムリエ田崎真也が絶賛した幻の島焼酎”青酎”は島民300人、信号が一つだけの青ヶ島で作られる。代理店の社長とよく飲みました。三宅島でホテルを経営していたオーナーが噴火で避難し開いた店。島焼酎100種類が1時間¥1000で飲み放題!島焼酎をこれだけ安く飲めるのはここだけ!三宅島直送の”あしたば”のてんぷらや刺身で島焼酎を飲み比べできます。青物横丁駅、徒歩30秒、雑居ビルの上にあります。
その4 秋葉原、季節料理「赤津加」
- 世界のアキバ、御茶ノ水よりの路地奥に、黒塀の小料理屋がポツンと奇跡的に存在する。我々とほぼ同じ風雪に耐えてきた店です。戦後の焼け跡で本格的な銘木をふんだんに使った店はここしかなかった。酒は”菊正宗”つまみは居酒屋風。こあがりは狭いが宴会で大好評でした。
その5 新潟古町、酒亭「久本」
- 昔、支店長とカウンターに座り、横をチラッと見たら県知事でした。昔は「分唐津」という名だった。今の女将は現役の古町芸妓です。三業会館(料理屋、待合、芸妓屋)の隣という立地から粋な旦那衆が通う小料理屋と言った風情があります。独り鍋は雲丹とニラの卵じめで酒にあいます。太田和彦も絶賛した店です。
その6 新潟しょっぺ店 ⑴居酒屋「柊ひいらぎ」
- 新潟弁で”しょっぺ”店がいま脚光を浴びている。新潟駅万代口の路地にある”柊”はお気に入りの店です。亭主はヒマラヤ登山の経験がある山男です。岩船港直送の岩牡蠣や”栃尾ジャンボあぶらあげ”をつまみに”〆張鶴の花”が飲めます。勝浦君が新潟県警本部長の頃、森君が出張で来てホテルで待ち合わせした時、ロビーでバッタリ、勝浦君と遭遇!あとで合流したのが柊でした。
その7 新潟しょっぺ店 ⑵焼鳥「鳥やす」
- 新潟で焼鳥は若鶏の半身揚げになります。塩、カレー、ガーリック味があります。息子はこの味が忘れられず来ると必ず食べます。”鳥やす”はしょっぺ店の十指に入るディープな店です。若女将とは近所付き合い20年以上の仲です。湊町新潟の造船所がある下町の路地にあります。
- ※しょっぺ店の定義;「昭和の香り漂う、外はしょぼいが美味い酒とつまみを出して長年、酒飲みから愛されている店」東京だと十条の「斎藤酒場」でしょうか。近年、絶滅危惧種と言われ酒飲みの保護活動が活発化。本まで出版された。
その8 割烹「銀座いわた」
- 新人の頃、先輩から「高校どこだ?」と聞かれ「徳島城南です」と答えると「竹内先生知ってるか?」と聞かれた。「国語を習いました」と答えると「俺の担任だった」と返事があった。この金沢大学付属高校出身の先輩にはかわいがってもらった。よく飲みに連れていってもらったのは銀座7丁目、ソニー通りにある”いわた”だ。ここは会社の食堂のような存在。昼はアジフライ定食、深夜残業のときは出前でうな玉丼、注文がとれたといってはよく飲んだ。まだ営業しているのが奇跡だ。昭和の香りがする銀座メシの穴場だ!
その9 蒲田,掘りごたつの老舗「利休」
- 新潟で新製品を売りまくっていた20年前、本社から副社長が来た。子会社の常務が宴席に同席し「出身はどこだ?」と聞かれ「徳島です」と答えると「高校はどこだ?」「城南です」「中学は?」「富中です」と答えたら「俺も富中、城南出身だ」「ハナちゃん知ってるか?」「1年の担任でした」と話が盛り上がり従兄弟の同期と判明。その後、社内に城南OBの輪が広がり先輩が常連の蒲田「利休」でよく同窓会を開きました。産業医だった大屋敷(原田)純子先生もメンバーです。利休は山形牛、ふぐ料理をだす蒲田では高級な割烹です。金目鯛の煮付けは絶品です。京浜急行蒲田駅前にあります。
その10 銀座「寿司幸」
- 就職が決まった時、父が「天皇陛下が株をもっている。無借金経営だ。アマチュア囲碁日本一の重役がいる」と言った。配属されると村上水軍の侍大将の如き容貌魁偉な重役がデンと座っていた。同じ四国出身なので、よく飲みに引っ張り出された。”寿司幸”は”久兵衛”と並ぶ老舗だ。大将が囲碁の弟子ということで師匠から代金は受け取らないのである。子分もタダで寿司を食べさせてもらった。
その11 川崎、焼鳥「てっぽう」
- この重役は”しょっぺ店”が大好きだった。川崎の焼鳥”てっぽう”でよく飲んだ。酔うと重役は「○○について一言」と禅問答のような質問をした。答えられないと拳骨が飛んでくるのに閉口した。店は川崎市堀之内、風俗街の入り口にある。軒先の破れちょうちんは店名が判読できないぐらいひどい。だが、味は天下一品。この重役は意外にグルメかと思った。
その12 銀座、想い出の割烹「井上」
- ”二0三高地”という束髪にもんぺ、下駄履きスタイルの女将は出会った頃八十才ぐらいだった。その後、新潟から銀座に戻りまだ営業しているので顔を出した。お客の名前を忘れないのが特技で私を覚えていた。九十すぎなので酒を注がないと「私も麦で作ったジュース欲しいわ」とチャーミングな笑顔で催促された。中瓶1本空けたのには魂消た。一代記をもらった。信州塩尻の貧農の少女が向島の料亭へ下働きに出され、持ち前の頭の良さと気働きで近衛公や米内光政、山本五十六、佐藤栄作にかわいがられた。戦後、店を建てる時に小判がでた記事を見せられた。三島由紀夫と美智子皇后が2階でお見合いをした。佐藤栄作が首相になり最初に車で乗り付けた。国会で時間が空くと2階で昼寝をしたと聞かされた。創業400年、日本橋”さるや”の楊枝を出してくれた。一流の店は”さるや”の楊枝を使うと教えられた。「人に尽くし、人を信じ、人を愛した」故井上つるさん。壁の塩尻市へ育英資金を寄付した十数枚の感謝状が目に飛び込んだ。明治の女は強かった。銀座は奥が深い!
その13 高松、瀬戸の六味「清船」
- 高松で飲むのはいつも”清船”でした。精進料理の六種の味「苦・酸・甘・辛・塩・淡」で瀬戸の魚介類を料理します。酒は金陵、梅錦、土佐鶴など四国の銘酒が飲めます。御坊町にあります。
その14 仙台 郷土料理「すが井」
- 上司が仙台で常連だった店です。地元では有名店です。あなご料理が看板らしいのですが亭主が着流しの粋な姿で料理することしか覚えていません。仙台駅前から歩いて数分です。別館もあります。
その15 金沢、東茶屋街ワインバー「照葉てりは」
- 加賀藩は東と西に廓を設けた。今は東茶屋街が栄え観光客も多い。その奥にある店です。先に行くと魯山人ゆかりの料亭「山乃尾」があります。一見客お断りでなく良心的な店です。潜り戸を入るのが入りづらいだけです。ママは元芸妓で利き酒師です。ワインだけでなく全ての酒が揃ってます。つまみも美味です。酔っても石畳を歩いて帰りたい雰囲気です。
その16 金沢、主計(かずえ)町、バー「八巻」
- 片町で飲んでたら衝立の奥から昔仕事をした代理店の支社長が「なつかしい!前から飲みたかったんだ。2軒目行きましょう」と突然姿を現した。案内されたのが”八巻”だった。東茶屋と浅野川をはさんで反対側、やや庶民的な料亭街の奥、五木寛之命名の明り坂下に店はある。坂上には泉鏡花の家がある。町屋をバーに改造し坪庭があり2階もある。金沢一と評判の美人ママの店だ。その夜は1階カウンターで旧交を暖めママと楽しく話をしながら飲んだ最高の夜だった。
その17 品川宿「菊寿司総本店」雑感
- 沢庵和尚と将軍家光が問答をした「問答河岸」の石碑が角にある寿司屋です。立派な寿司屋で品川勤務のころよく飲みに行きました。川島雄三監督の名作「幕末太陽伝」の冒頭、現在の北品川商店街が出てきます。この商店街(旧東海道)の入り口にあります。名所旧跡がたくさんあります。私は御殿山にある原美術館の庭でコーヒを飲むのが楽しみでした。白金の畠山記念館で利休の名物を鑑賞しお茶を一服味わえます。ここは昭和天皇大喪の礼でダイアナ妃はじめ国賓を茶道でもてなした場所です。わが社の創業者が収集した国宝級の茶道具を展示してます。興味があれば招待券を送ります。隣の”般若苑”は名料亭で三島由紀夫「宴の後」の舞台でした。明治天皇も行幸された場所です。残念ながら閉苑しました。広島の武家茶、上田宗箇流の家元と交流があり毎年お茶会が開かれています。上田宗箇は徳島城の千秋閣を作庭した人です。大名庭園で十指に入る名園です。徳島城公園の案内板に名前しか記載がなく地元の人が知らないのは残念です。私も広島で知りました。また広島のフィルムライブラリーで昭和16年のマキノ雅弘監督、長谷川一夫、高峰秀子出演「阿波の踊り子」を見ました。ラストの阿波踊りの乱舞は圧巻です。母から聞いていた新町川に立ち並ぶ藍倉は美しかった。阿波踊り会館で常時上映できないものでしょうか?
- ※津本陽著「風流武辺」朝日文庫に武将茶人、上田宗箇が蜂須賀家に仕え殿様の命で作庭することが書かれてます。
その18 神田「ラドリオ」「ランチョン」「藪そば」
- 神田神保町は青春の町だ。岩波ホールができた頃、印度のサタジット・レイ監督の「遠い雷鳴」を見た。古本あさりや映画の後、ラドリオでウインナーコーヒーを飲んでだべったものだ。夜はカウンターで飲める。着流しの半村良が隣で粋に飲んでる姿に惚れ惚れした。御茶ノ水の”山の上ホテル”は作家が缶詰になることで有名だ。緊急避難でラドリオに飲みに来る作家が多かった。刑法の教授に山の上ホテルで天ぷらをご馳走になったことがあった。ここは池波正太郎のお気に入りで板前が独立して銀座に天ぷら「近藤」を開店したら、こちらが常連になった。”ランチョン”はビール注ぎの名人がいる。三木武雄が明大生の頃通った老舗だ。神田は老舗が多い。藪そばはドイツ語の先生が好きだった。火事で焼けたが仲居さんが節をつけて注文をとおす江戸前の雰囲気が味わえないのは残念だ。今年の年末、営業再開するらしい。親戚がニコライ堂の前で寿司屋をしていた。学生時代よく寿司をご馳走になった。社会人になって日立の本社が御茶ノ水に移転した時、日立の営業マンを紹介し喜ばれた。一時は日立マンで満席だった。恩返しできたと思う。そういえば学生の頃、御茶ノ水で阿部(坂東)幸二君、吉川修平君にバッタリ会ったことがあった。 社会人4年目?に吉川君と仕事で関係があった。日立製作所に特殊なバルブを売り支払いのことで電話したら、いきなり「俺だよ!」と言われ「?・・」「3年1組で一緒だった吉川修平だよ」と言われ、当時ダイヤル式だった黒電話を握りのけぞってしまった。「なんで日立に?」「お前がメーカーはええぞって言ったやないか?」そう言えば徳島駅前の喫茶店で、もの作りの素晴らしさを熱く語った記憶がある。吉川君は日立の経理マンとしてロンドンに永く駐在し今は日立の関連会社で活躍しているようだ。私も3度目の新潟勤務で20年前に自分が種まきした、新潟平野を洪水から守るオランダと新潟にしかない世界最大級のポンプ場が老朽化したので6年間の更新工事の最後に係わることができもの作りの会社に入ってよかったと思っている。
その19 秋田町 割烹「五十鈴」
- ご主人は叔父の会社で働いていた。20年以上前、上司が徳島に出張するので紹介し喜ばれた店だ。10年前?風車の仕事で神山町長に面会する際、県庁の高橋君にお世話になった。その夜、上司、部下と五十鈴で飲んだ。サービスしてもらったと思うがお世辞抜きで美味しかった。悲劇は翌朝起きた。部下が過労で運転中、意識が朦朧とし急遽、知っていた病院で注射を打ち一晩寝たら回復した。翌日からハードな出張に行く彼のタフさに驚いたものだ。ふぐ料理と釜飯が看板の店です。
その20 広島、袋町 居酒屋「みやまえ」「獨楽」
- ”みやまえ”は銀座のバーで常連仲間だった三菱商事のKさんが歓迎会を開いてくれた店だ。安倍総理の実兄が当時、商事の中国支社長だった。Kさんと一緒に飲んだことがある。みやまえのご主人は山陰の町役場で企画課長をしていた。私の影響で新潟の酒も置くようになった。ANAホテルの裏だからホテルの紹介で観光客が多い。広島で牡蠣を食べるならここが安心。福本君の麻雀仲間がわが社の取引先で毎年、牡蠣パーティーに呼ばれた。福本君と焼き牡蠣を獺祭の大吟醸でたらふく食べたのは広島の良い思い出だ。”獨楽”は広島で一番お薦めの居酒屋だ。広島テレビの1階にあり看板は表札のようで一見入りづらいが良心的な店だ。大将が自分で野菜を作り、釣った魚を料理する。冬はジビエ料理が味わえる。「萬膳」を初めて飲んだ。東京で幻の焼酎と言われている。一杯¥500で飲めることに東京の人も驚いていた。
その21 日吉、とうふ料理「たなべ」
- 就職して京王線、笹塚駅の下宿から日吉の独身寮に入った。今は慶応大学院図書館になっている。日吉中央商店街の奥に”たなべ”がある。坂を登れば日吉寮だった。ここは寮生の溜り場だった。とうふ専門料理屋だが山形出身の同期が今も常連で酒は”くどき上手””ばくれん””初孫”など山形の銘酒が飲める。創業80年になる。
その22 武蔵小杉 黒焼き鰻「武蔵野」
- 社宅が武蔵新城にあり武蔵小杉はよく飲みに行った。東横線と府中街道の交差点近くに土蔵作りのレトロな鰻屋がある。相撲部屋を移設したらしい。名物は鰻の燻製、黒焼きだ。横綱、雷電が食べて人気がでたようだ、頭を焼いた甲焼きも酒のつまみにあう。因みに社宅には女優、鈴木保奈美が小学生の頃いた。商店街で今も伝説の美少女と言われている。俳優、阿部寛の兄は子会社の技術部長だ。私は仕事をしたことはないが似ていないようだ。
その23 秘湯、栃尾又温泉「自在館」
- 創業400年、秘湯を守る会の宿です。木造の旧館は夜具持込、自炊の湯治館です。万病にきくラジウム泉です。腰痛治療で行きました。結構、独りの湯治客が多く最低2時間は入浴できるほどぬるい湯です。大湯と栃尾又は隣で歩いて行けます。奥只見の銀山が栄え、三島由紀夫の小説「沈める滝」のモデル奥只見ダムの工事で賑わっていた頃は大湯にストリップ劇場がありビートたけしが出演していました。ここは地酒で雪中貯蔵のパイオニア”緑川”が飲めます。かじか酒も香りがよく乙なものです。温泉のある魚沼市は渡辺謙や大桃美代子、山岡宗八の出身地です。
その24 秘湯、糸魚川「笹倉温泉龍雲閣」
- 鉱山開発中に湧き出た温泉。秘湯を守る会の宿です。焼山の麓、宿の先には発電所しかない秘湯です。美人の湯です。糸魚川は遠いのでビジネスパックでよく泊まりました。夕食はつかないので鱒の寿司を買って地酒”月不見の池””根地男山”をよく飲みました。
その25 秘湯、日本三大薬湯「松之山温泉、凌雲閣」
- 有馬、草津と並ぶ名湯。秘湯を守る会の宿です。宮大工が建てた3階建ての旧館は登録有形文化財です。謙信の隠し湯で管領の間に高松宮が宿泊されました。山菜料理が美味い。地酒”天神囃子”が飲めます。何度も新潟県温泉顧客満足度1位に選ばれました。アカショウビンなど野鳥観察ができます。鷹の渡りのシーズンは全国から観察に来ます。わが社の野鳥観察会も年に1回、観察会というより大宴会をここで開催しています。
同(番外編Ⅱ)
全国、お薦めの店(番外編Ⅱ)
蔵本 芳弘(1組)
その26 佐渡「八幡温泉、八幡館」寿司「長三郎鮨」
- 佐渡に泊まるなら八幡館がお薦め。20年前、新館オープンのときジェットフォイルで建設を請け負った清水建設の社長と一緒になった。温泉旅館のオープンにお供10人引き連れて大げさなと思ったが魅力のある温泉だと思う。新潟県温泉顧客満足度1位になったことがある。松林の中に建つ新館で蟹三昧、温泉三昧した思い出がある。お昼は新穂にある”長三郎鮨”がお薦め。寿司以外にブリかつ丼、ラーメンも人気がある。佐渡はアルコール共和国を名乗り”北雪””真野鶴””天領杯””真稜””金鶴”など酒造会社が多い。運が良ければ朱鷺の飛んでいる姿が見えるかも。
「酒少し徳利の底に世寒哉」漱石
その27 表参道アンテナショップ「ネスパス新潟」
- 青山骨董通りの飛行機のデスクトップモデルの「WINGクラブ」はよく通った。1機が数十万円する。専ら鑑賞専門だ。ミュージアムに展示する模型なので何時間見ていても飽きない。新千歳空港に展示している模型はここの製作だ。お昼は近くの新潟県のアンテナショップでよく食べた。表参道ヒルズの隣にある。年商5億円を突破した!ホテルが経営する高級な”静香園”と地下食堂があり新潟名物”タレカツ丼”が食べられる。 17年前、工場の一部を移転する計画があり新潟県の工業団地に決定するまで新潟県東京事務所の担当者が毎週、会社に顔をだした。役員から「お前が対応しろ」と指示された。毎回、銘柄の違う一升瓶を持ってきた。役員から「あの若い県庁職員は営業マンの鑑だ。お前も見習え!」と叱咤された。”菅名岳”をもらった。東京で手に入らない。寒九の水を汲みに2000人の市民がかんじきを履いて菅名岳中腹に湧く名水”どっぱら清水”をポリタンクにつめて仕込み水にするのだ。石高が少ないので首都圏に流通しない。ネスパスで同じ醸造元の”越の鹿六”を販売している。漫画おいしんぼで取り上げられ口コミで人気がでた。新潟は90の醸造元があり日本一の酒どころ。輸出は倍増した。東京で新潟の酒を買うならネスパスがお薦めだ。
その28 表参道ルーマニア料理「ダリエ」
- パリで視察団の団長が行方不明になった。夕方ひょっこり帰り「高校の同級生が仏大使なので昼食会に呼ばれた」と言ってメニューをもらった。大使館のワインセラーに1000本以上のワインが貯蔵されているらしい。明治屋で同じワインを探してもらった。5cmほどの分厚いワインブックで醸造所、畑、銘柄、製造年で探したが同じワインはなかった。同じ畑、銘柄で1年製造年が若いワインがあったのでワイン好きの知人に送り大変喜ばれた。銀座のフランス・イタリア料理は大変高いが多国籍の料理が銀座で味わえる。ルーマニア料理「ダリエ」は銀座のころランチ、ディナーでよく利用した。最近、表参道、紀伊国屋スーパー裏に移転した。美味さと安さは変わらない。塩野七生さんの「ローマ人の物語」の読者はお分かりと思うがルーマニアはローマ人が作った国でラテン系だ。料理とワインは美味い。ヨコメシの穴場だ。
*パリの日本大使館で出されるワインです。
赤;Chateau Gruaud Larose 1989 ボルドー「シャトー・グリュオ・ラローゼ」
ヴェルヴェットのような味わいのヴィンテージワイン。
¥26000〜¥6000(年代による)
白;Puligny Montrachet 1992 ブルゴーニュ「ピュリニー・モンラッシュ」
世界最高級の辛口白ワイン。
その29 新潟 料亭「行形亭いきなりや」
- 元禄創業の新潟一古い料亭だ。ご亭主が慶応OBで三田会の会場になる。慶応OBの支店長のお供で何度か行った。2000坪の庭園があり10を越す建物は国の有形登録文化財だ。日露戦争のころ東郷平八郎がバルチック艦隊を待つ間ここの広間で昼寝した。夏は門を入るとそうめん流しを食べてから座敷に案内される。敷居が高そうだが違う。値段も内容を考えれば安くなった。最近、庭が見える喫茶コーナーを開設し気軽に料亭の雰囲気が味わえるようになった。昔ガスタービンを新潟で30台売った。市場調査にプラット&ホイットニー社のバイスプレジデントが新潟に来た。ここで宴会を開いた。あやめ姐さんが踊りハワーズV.Prはご機嫌だった。次の週、私がモントリオールのP&W社へ出張した時は大歓待を受けた。朝ハワーズさんに挨拶すると「君には新潟で世話になった。パリに行くが君のディナーに間に合うよう帰るよ」と言ったので驚いた。行形亭は英語が堪能なスタッフも多く外人客が多い。日本有数の名料亭だ。
その30 銀座、思い出のバー「アールス・コート」
- 会社に近い写真店のママにバーを紹介された。田中角栄の息子、田中京さんの店だ。銀座7丁目、雑居ビルの地下にあった。入るのを拒んでいるような店だった。京さんは11時を過ぎないと顔を見せない。ある夏、冷房が故障し氷柱で冷やすことがあった。あまりの暑さに実家から持ってきた角さんの扇子であおいだ。京さんが「ちょっと見せて」と言うので「印刷した選挙グッズでしょ」と手渡すと、ジックリ見て「親父の親筆だ。この漢詩は日中国交回復した短期間しか書いていない」と言われ驚いた。そういえば田中角栄記念館に同じ扇子が展示されていた。2度目の新潟勤務になると言ったら自ら料理を振舞ってくれた。「古町に弟子がいる。行ってくれ」と言われた。今も弟子のナベちゃんのバー「アウル」に通っている。7年前、京さんは店を閉めた。週刊誌で一度、消息が記事になった。しかし京さんはヨウとして世間に姿を見せない。
その31 湯島 老舗バー「琥珀」「EST」
- 古町”アウル”のバーテンダーなべちゃんから「湯島のバーESTは日本一と思う。そこのバーテンダーは「琥珀」の出身だ」と聞かされた。そういえば”琥珀”は辰己会の2次会で宮尾君に案内された店だ。三島由紀夫や文豪、東大の教授が通った老舗バーだ。 宮尾君に「新潟の宮尾一族なの?」と聞くと「そうだよ」と答えた。TVの”笑っていいとも”で関根勤が新潟に「猫山宮尾病院」という面白い名前の病院があると話していた。新潟市内には宮尾と名のつく病院が多い。江戸時代に新潟近郊、猫山の庄屋が河童を助けた。お礼に秘伝の膏薬の作り方を伝授された。打ち身に効能がある湿布薬で昭和のはじめまで全国で販売していた。今も骨折すると「猫山宮尾へ行け」と言われるほど整形外科ではチョー有名!創業260年だが最近はアルビレックス新潟の選手をスポーツ医療で治療するなど5階建て、66床の新しい病院になった。院長は歴代、名前に益の字がつく。宮尾君の名も益和だ。「〆張鶴」を飲むたび宮尾君を思い出す。宮尾酒造の酒だ。宮尾君のご先祖は民話になるほどの豪農かも知れない。
その32 四谷,ミシュラン居酒屋「萬屋おかげさん」
- 秋田の”酒盃”で偶然、再会した秘湯と居酒屋巡りが趣味のYさんの会社は四谷にある。酒場談義で会社の近くに銘酒が飲める美味い店があると聞かされた。いま新潟出身の幻冬舎の専務が地元紙に痛飲記を連載中だ。Yさん推薦の店が掲載された。鰹は天井に届かんばかりの強火であぶり、金目鯛のカラスミ乗せなど日本酒がすすむつまみが豊富な店だ。亭主は日本酒にこだわり”飛露喜””義侠””悦凱陣”など全国の銘酒が揃っている。幻冬舎の専務が飲んでると亭主の目が鋭く見つめるので気になったらしい。亭主から「○○ちゃん?」と学生時代のあだ名で呼ばれた。声でバンド仲間とわかった。25年ぶりで再会し、その夜は痛飲したという話だった。愛媛出身のYさんとその店で飲む約束をしながら新潟に転勤になった。いつの間にかミシュランを3年連続でとり予約待ちの店になったようだ。しかしお任せで¥5000と良心的らしい。新宿通りの四谷2丁目信号前の桐箪笥屋の地下、わかりにくい店のようだ。いつかYさんとその店で痛飲してみたい。
その33 御徒町、寿司「寛八本店」
- 入社した時の専務は俳句を嗜み洒脱な方だった。粋に酒を飲む作法を教わった。専務が常連だった銀座の寿司屋から独立した店が寛八だ。当時は力士や平山郁夫画伯が常連だった。今は芸能人御用達の店らしい。会社の女性が結婚するので寿司を食べに行ったら先代の大将が「お嬢さん、娘と同い年ですね。お幸せに!心をこめて握らせていただきますよ!」と目にもとまらぬ握りのテクニックに惚れ惚れしたものだ。アドマチック天国にも出たらしい。駒込に住んでいる先輩はいまも常連だ。家族連れでも安心な下町の名店だ。
その34 青森県むつ市 居酒屋「武田屋」
- 青森の下北半島にジャンボ機と同じ大きさの風車を40基建てた。むつ市の高台で眺めの良いむつグランドホテルが定宿だった。渡り廊下で露天風呂に入れるのが魅力だった。廊下の壁には会津藩が下北で苦労した絵巻が飾られていた。私は「土地に惚れ、人に惚れ、仕事に惚れる」三惚れ主義がモットーだ。さっそく早乙女貢の「会津士魂、全21巻」を読み感銘を受けた。むつ市は大湊の海上自衛隊と六ヶ所村の核燃料再処理工場の作業員で飲み屋街は小さいながら賑やかだった。フランスの技術者が住むマンションが建ちトヨタの植物工場が出来て広大な原野が近未来的な町になった。夕暮れ時は作業員が一斉にむつ市を目指して帰るので国道は大渋滞だった。夜は何もすることがないので”武田屋”でよく宴会を開いた。ここは”開運””悦凱陣”など全国の銘酒が飲める。壁一面にラベルが貼ってある。ただ地酒”寒立馬”はむつ市に来ないと飲めない。本州最北端の酒だ。吹雪のなかの寒立馬を見て神々しさを感じた。また冬の寒立馬を見てみたい。そして漁獲量日本一を誇る小川原湖のシラウオを肴に”寒立馬”の熱燗でホッコリしたいものだ。
その35 新潟、北陸の寿司屋
- 娘が寿司を食べたいというので人気上昇中の”慎寿司”に行った。裁判所の裏にある小さな店だ。赤酢のシャリで下味をつけたネタを出す時にすだちをかけたり一手間かけて握ってくれる。アルビレックス新潟の選手が来るなど予約しないと入れない。酒は農水大臣賞受賞の店”都屋”から仕入れている。千代の光、鶴齢、〆張鶴を飲んだ。寿司の味がわからなくなるほど飲ませない。ドクターストップならぬ慎ちゃんストップがかかる。新潟は”港寿司””寿司清”など美味い店が多い。先日、富山IC近くの回転寿司”すしだるま”で富山の所長と食事した。門構えがある立派な店で寿司の美味さに驚いた。回転寿司の機械は金沢の渋谷工業が世界に輸出している。北陸のレベルが高いのもわかる。金沢は名人の店”すし小松弥助”や”宝生寿司”など名店が多い。
その36 新潟ラーメン
- 新潟はラーメン激戦区だ。人口比でラーメン店の数が北海道、山形、秋田に次いで全国4位。池袋の大勝軒は弟子の店が4店あるが一風堂と同じく苦戦している。カレーラーメン、豚汁ラーメンなど変り種もあるが、どこで食べても美味い。最近、東京に進出している。蒲田にラーメン”潤”が出店した。秋葉原には”青島食堂”が店を出した。青島ラーメンは長岡の生姜醤油味だ。先代は東大出のインテリで英字新聞を読みながらラーメンを作っていた。新潟県はおけさ柿の柿渋ポリフェノールを麺に練りこみツルツルとシコシコを両立させた健康によい麺を開発し特許を取得した。その麺を使った”越後秘蔵麺、無尽蔵”が10年前、品川駅前に開店し行列ができた。汐留にもできた。今や大阪、京都、奈良、神戸、名古屋、仙台、埼玉、千葉、横浜など全国のイオンモールに出店中だ。飲んだ後のラーメンで忘れられないのは秋田の繁華街、川反(かわばた)の千秋ラーメンだ。蕎麦屋でみんなラーメンを食べている。あっさりして〆に最高だ。新潟古町の三吉屋は昔、屋台だった。極細縮れ麺で千秋ラーメンに似て美味い。坂口安吾も食べたらしい。
その37 大阪肥後橋 くえ料理「九絵屋」
- 広島で代理店の支社長と”みやまえ”でくえ鍋を食べた。大阪に美味いくえ料理の店があると聞かされた。取締役大阪支社長に栄転されたのでお祝いに大阪へ行ったとき九絵屋に案内された。うすづくり、くえ鍋、寿司とくえづくしだ。”八海山”が料理にあう。大阪は出張でよく行った。弊社は堂島アバンザにあり北新地で飲むことが多かった。江戸堀の九絵屋ははじめてだったが美味い!ここの水槽で泳ぐ和歌山沖で釣れた天然のくえは大きくて立派だ。年間を通じて大きなくえを水槽に泳がせていることだけでも大変な努力が必要だと思う。
その38 下関市唐戸 居酒屋「あらかぶ」
- ”あらかぶ”は磯の根魚カサゴのことだ。新潟のバーで常連客に下関の食品会社の支店長がいた。唐戸市場の近くに魚の美味い店があると聞いた。ふく料理が¥5000と安い!年に1度は下関で泊まった。思い出してその店に行ったが評判どおり美味かった。商店街の路地にある小さな店だった。松田優作は近くの飲み屋の2階で育った。また女優の田中絹代、小暮実千代や佐々部清監督が出ており下関は映画の町だ。佐々部監督の「チルソク(七夕)の夏」は下関と釜山の高校生の淡い恋を描いた実話だ。今こそ見て欲しい映画だ。上野樹里のデビュー作で友人役だが主役をくう演技だった。地元出身の山本譲二がギターの流しで地回りにボコボコにされるシーンが店の周辺と雰囲気が似ていた。
その39 鳥取県米子市、日本料理「荒磯本店」
- 米子駅の前にある。代理店の社長と飲んだ。料亭風だが高くない。境港があるので魚は美味い。のど黒は山陰沖では小さいので安い。新潟は大きく育つので切り身でないと高級魚だからベラボーに高くなる。安来の酒”月山”と”日置桜””李白”を飲んだ。松葉蟹のコースが名物だ。営業所は清水英治君が居る鳥取大学医学部から1kmも離れていない。立ち寄ろうかと何度も思ったが鳥取、米子、松江、出雲、広島を1泊で往復するからスケジュールがタイトで無理だった。女将から店の斜め前にあるバーを薦められた。ここで初めて”イチローズモルト”を飲んだ。
その40 博多天神 水炊き「新三浦」
- 博多に行くと支社がある天神の店によく行った。銀座にもあったが築地に移転した。九州出張はいつも泥酔するせいか記憶がない。昔、鹿児島の天文館のキャバレーでホステスに「水飲んでるの?」と聞いたら「飲んでみる?」とグラスを渡され飲むと焼酎だった。次の朝、空港にホウホウの体で駆け込んだ記憶がある。熊本も健軍町の天草料理の店でマテ貝、緋扇貝などめずらしい魚介類がどんどん出るので酒がすすみ記憶が飛んでしまった。H10年北九州で展示会があった。会場のホテルで黒田君と食事した。北九州大学の英語教育学の教授で当時、理事として大学運営に係わっていた。「理事になって市の課長に予算要求ができるようになった」と喜んでいた。朝日新聞の地方版にいじめ問題でコメントをよく書くと言っていた。また「5分授業を見たら欠点を指摘し直すことができる」と話してくれた。「最近の学生は理由もなく大学に来ないので下宿まで行き講義に出席するよう指導している」と苦労話を聞いた。「そんな学生ほっとけよ!」と言ったが「そういうわけにもいかないんだ」と言った。今時の教授は大変だと思った。
その41 札幌 鮨割烹「鶴寿司」
- 札幌は天然温泉があるジャスマックプラザホテルが定宿だった。歩いてすぐの”鶴寿司”は老舗だ。寿司だけでなくえぞ鹿の鍋もある。札幌も記憶があまりない。初めての出張で朝の4時に炒飯を食ってホテルに帰った記憶がある。なぜか冬の出張が多く外に出た瞬間、酔いが醒めるのでハシゴ酒しても酔わないのだ。大勢のときは松尾のジンギスカン鍋だ。そういえば、広島のJR横川駅前にスピードスケートの長野五輪金メダリスト清水宏保選手の叔母さんの店「北の羊」があった。福本君と食べに行った。札幌と違い帯広直送のラム肉は厚い。野菜と別に焼く。札幌は肉が薄いので野菜の上にのせる。うちは肉が違うと強調していた。新潟のバイ貝も大きいが北海道のは握り拳大で驚いた。厚岸で食べた牡蠣も大きくて美味い。留萌に風車を建てた時に日本最北、増毛の地酒”国稀”を飲んだ。佐渡の人が作った酒だ。北海道の酒も美味いと思った。
その42 東京ステーションホテル Bar「Oak」
- 碁が強い重役の友人がホテルの社長なので会議を開催し泊まったことがあった。重役とバーで飲んだ時「ここの柱は潜水艦の潜望鏡を使っている」と話してくれた。便利なのでちょくちょく飲みに行った。改装しても木をふんだんに使った重厚な雰囲気は変わらない。JR品川駅の上にもシガーバーがある。新幹線に乗るギリギリまでよく飲んだ。東京駅周辺が変貌した。Kiiteに行ったが東大の博物館は面白い。鳥の剥製や骨の標本などカービングの勉強になる。流体力学の実験に使う模型も現代アートのようで美しい。ここの展望台で見る東京駅の夜景は絶景だ。先日、京橋のフィルムセンターで小津安二郎の映画に使われた絵画展を見た。東山魁夷、橋本明治など巨匠の絵が使われた。ルオーのキリスト受難の絵がバーのシーンに使われていた。早速、出光美術館に見に行ったが記憶より小ぶりの絵だった。
その43 銀座並木通り 「三笠会館」
- 銀座に居たころ昼食の食券補助があった。割烹「むとう」「皇家飯店」など20軒で使えた。三笠会館も使えた。創業80年、7階建てのビルに和洋中華、鉄板焼きがある。地下のBar5517は人気がある。学生時代、商法ゼミのOB会がここであった。ソムリエにワインのテイスティングを教わった。2次会で先輩弁護士に連れられて「サントノーレ」というクラブに行った。新人の頃、先輩から「どこか知ってる店あるか?」と聞かれ学生時代行ったクラブへ案内した。ホステスから「ここは銀座で3本の指に数えられる店よ」と言われた。翌朝、課長に呼ばれ「お前らが行くには10年、いや30年早い!」と叱られた。あの頃の上司はネクタイは田屋、シャツは大和屋、靴はヨシノヤとおしゃれな人が多かった。鞄はタニザワ、日本で最初に鞄を作った店だ。会社のビル1階に皇室御用達の「宮本商工」があった。愛子様の銀の匙はここの製品だ。安藤七宝店は海外みやげ品として人気があった。会社の前に漱石が愛した「空也もなか」があった。お土産で喜ばれた。銀座は全国の老舗が集まる街だ。数年前、8丁目に京都の老舗扇屋「宮脇売扇庵」が店を出した。絵柄が気に入り買ったが老舗の品はやはり違う。
その44 新潟県長岡市 越後地酒割烹「魚仙」
- 雪を融かす実験を長岡技術科学大学のU教授とした時に飲んだ店だ。太田和彦の居酒屋百名山に選ばれた。全国から地酒ファンが来る店だ。新潟の酒の品揃えは県内No1だ。”越の影虎””酔法師””越の長凌”が飲める。越の長凌の息子はわが社の技術者だ。長岡は三尺玉の花火と河井継之助と山本五十六が有名だ。長岡高校の同窓会館は一般に開放している。パネルや遺品の展示は博物館なみに立派だった。井上円了、山本五十六,堀口大學、半藤一利、櫻井よしこ、星野知子など多士済々だ。
その45 新潟市「豪農の館」「鉄道資料館」
- 新潟県は明治のはじめ納税額日本一だった。豪農が多い。一千町歩(1000Ha)を所有した伊藤家は「豪農の館」として観光コースになっている。宿泊ができ食事処が4つもある。新潟の地酒が全て買える。ヘキスト社の社長を案内して喜ばれた。8年前?森君を案内したことがある。近くの新津は石油で栄えた鉄道の町だ。JRの車両を新津の工場で製造している。鉄道資料館にC57蒸気機関車と200系上越新幹線の実物を展示している。国鉄OBから収集した1万点近い展示物がある。さいたまの鉄道博物館ほど立派でないが鉄道ファンなら興味があると思う。SLばんえつ物語号は新潟から新津を経て会津若松に定期運転している。新発田市の市島家も豪農だ。早稲田の図書館を寄付した。地酒”王紋”を作っている。隣の日本料理”いちしま”で食事ができる。新発田は忠臣蔵の堀部安兵衛と大倉財閥の大倉喜八郎がでた城下町だ。
その46 函館市、湯の川温泉 鮨処「木はら総本店」
- 函館は寿司の激戦区だ。デパートの北海道展に出店している函館を代表する鮨屋だ。函館で大学の同期S君が弁護士をしている。15年前?出張した時、夜景を見てからご馳走になった店だ。彼は地元の名士なので大将の応対もよかった。ずいぶん飲み食いしたので心配した。値段を聞いて良心的なので驚いた。海峡マグロが名物だ。酒も田酒など銘酒が揃っている。S君は司法修習所で3年1組の井上君と同期だ。彼が「井上君は安西法律事務所のパートナーになったよ」と言った。労働法では日本一の法律事務所だ。会社で労働問題の研修があった。テキストに井上君の名前があった。10年前、銀座で独立。著作もあり大活躍だ。3年前、広島で「海炭市叙景」という映画を見た。函館市民が出資、製作した映画だ。加瀬亮、谷村美月が出演した。エンドロールに協力した市民100人の名前がでた。S君の名前が目に飛び込んできた。早速、手紙で報告した。S君から原作の佐藤泰志著作集と手紙が届いた。「知人から頼まれ出資しただけで妻と一緒に見たが気がつかなかった。函館で誰も言ってくれなかった。貴君の観察力と映画愛に感銘を受けました」と書かれていた。銀座のバー「パスポート」で判事と隣り合わせになり雑談していたらS君に函館で世話になったと聞いて世間は狭いと思った。ここは新人の頃から常連だったが2年前に閉店した。辰己会の2次会で使った。玉置君が医療倫理の諮問委員会で上京した時、カウンターで飲んだ。2年の時、私に勧められ高橋和己の「わが心は石にあらず」を読み感銘を受けたと聞かされた。小西君や福本君と文学、映画で駄弁った記憶はあるが玉置君にそんな話をした記憶はスッポリ抜け落ちている。2年の前川先生のクラスは楽しかった。
その47 京浜急行蒲田 そば「津右衛門」
- 本社が京急「穴森稲荷駅」にあるので蒲田で飲むことが多い。蕎麦好きの教師が独立した信州そばの美味い店だ。小泉純一郎も総理を辞めてから食べに来た。ほう葉のみそ焼きなど酒にあうつまみが多い。野沢菜は本場と同じ味だ。新潟の”天神囃子”など地酒が豊富だ。三原(坂東)君が再就職した会社が店の対面にあった。私の会社から近いので何度かお邪魔した。この店も紹介した記憶がある。京急蒲田駅から徒歩5分、大田区産業プラザの裏、環八通りから少し入った場所にある。
その48 広島焼き「弁兵衛」
- 広島は原爆投下後、未亡人が鉄板1枚で商売できるので町中にお好み焼きの店が多い。「みっちゃん」とか女将さんの名前が店名に多い。福本君と広島球場でカープの試合を見る前に食べた広島焼きが一番美味かった。広島駅前の愛友市場の中にある「りゅう」と言う店だ。流川の「越田」とお好み村の「水軍」もお薦めだ。BMW販売会社の社長夫人が経営する個室広島焼き「弁兵衛」はコース料理なので会社でよく利用した。出張族は〆に広島焼きを所望するので便利だ。森君がタイのタマサート大学のソムチャイ副学長を案内してきた時も利用した。タイ料理のように辛くないので大量の一味唐辛子をかけていた。森君はボランティアでスリランカを支援したり世界規模で活躍している。広島では中国管区警察局長だった勝浦君と福本君で何回か飲んだことがある。玉置君、阿部(坂東)君が来たときも福本君と一緒に飲んだ。広島時代は同窓生とよく飲んだ。
その49 飛騨高山 隠れ里温泉「倭乃里わのさと」
- 冬の酒蔵巡りをした。「久寿玉」「蓬莱」「鬼ころし」など六つの酒蔵を利き酒し酔っ払った。吟醸酒”氷室”はここでしか飲めない。萱葺きの豪農の館を移築した囲炉裏がある温泉宿に泊まった。地酒”鬼ころし”を竹筒に入れて飲む、かっぽ酒を囲炉裏端で飲んだ。宿の主人の昔話を聞きながら酒がすすむ。飛騨牛、鮎や山菜料理も美味い。温泉も岩風呂など野趣あふれた風呂だ。奥穂高連峰を望む宮川に沿って水車もある広大な敷地のなかに居ると気宇壮大になる。奥飛騨の平湯温泉まで足を延ばし妻とスキーをしたのも良い思い出だ。
その50 渋谷、並木橋 四季料理「渡ら瀬」
- 菊姫、李白、浦霞、真澄、八海山、久保田と酒の品揃えだけで良い店だとわかる。更に幻の出羽桜、雪漫々、大吟醸が飲めるとは!焼酎は八丈島の”情け嶋”がある。八丈島直送の旬の魚が食べられる。もと寿司屋なので料理も美味い。しかもコース¥3000と安い。渋谷の穴場居酒屋だ。明治通りの並木橋手前にある。息子が見つけてきた店だ。14年前、並木橋の先のJRと東急線に囲まれた狭い場所に渋谷清掃工場を建設した。難工事だった。近くにこんな老舗があるとは!ビルの地下にあるのでわからなかった。息子とフィアンセの幸せを願って美酒に酔いしれた夜だった。
「山は花酒や酒やの杉ばやし」良寛