はじめに

はじめに

鎌田一孝(6組)



このページは、投稿があった城南46会会員の映画ランキングのページです。
それぞれが独断と偏見で選んでいる(個人によって好みが分かれる)ので文句は一切受け付けません。意見、質問、訂正などは喜んで受け付けます。
また、自分で選んだベスト10映画などの投稿もお待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

人生の哀感を感じたベスト10

人生の哀感を感じたベスト10

蔵本芳弘(1組)



 私が人生の哀歓を感じたベスト10です。ややオーソドックスですが・・・

1.「東京物語」
 見る度に違う台詞に心ひかれる。前は大坂四郎の「さりとて、墓に布団はかけられずや」だった。いまは笠智衆の「日が長ごうなりますわい」という最後の台詞を実感してます。

2.「生きる」
 小田切みき演じる少女が「課長さんも何か作ってみれば」と眼を輝かせていう台詞が印象的。

3.「天井桟敷の人々」
 ビシー政権下でこんな文芸大作を作るフランスはすごい。いい台詞が満載。

4.「別離」
 中学の時、母がNHKを見ていて「イングリッド・バーグマンや」と一緒に見た映画。スエーデン時代のハリウッドリメイク版で彼女はスターになった。

5.「オズの魔法使い」
 これも中学時代、深夜放送で見た。ミュージカルは楽しいと思った。戦前、こんな映画を作る国とよく戦争したと中学生でも感じた。

6.「草原の輝き」
 大学時代、新宿で見た。ナタリー・ウッドが綺麗だった。

7. 「心の旅路」
 中学時代、母とNHKで見た。母の好きな映画だ。「チップス先生さようなら」のジェームズ・ヒルトンの作だけあって物語がうまい。ラストシーンでグリア・ガースンが昔住んでいた家の垣根のドアを開けるシーンは覚えている。

8.「追想」
 ロミー・シュナイダーの映画はプリンセス・シシーから見ているがフランスでナチス占領下の頃を舞台にした映画は全てすばらしい。

9.「キューポラのある街」
 「だぼはぜの子はだぼはぜだ!」と東野栄次郎扮する父親に反発する少女を吉永小百合が演じた。彼女の最高傑作。後は駄作だ。

10.「ペーパーチェイス」
 大学時代、友人を誘い4回見た。喫茶店で議論した。ハーバードロースクールでロケしたので臨場感がある。演劇のジョン・ハウスマン演じる教授が印象的だった。ソクラテス・メソッドと言われる質疑応答で講義が進むやり方はハーバード帰りの助教授が本物そっくりと驚いていた。最終試験が終わりティモシー・ボトムズ演じる主人公が成績表をみないでロングアイランドの海岸に破り捨てるところが印象的。

我が青春の日本映画ベスト10

我が青春の日本映画ベスト10

福本俊介(1組)



私が若い頃に観たなつかしい日本映画のベスト10を記します。
何分鎌田映画部長のようにたくさん映画を観てないので10本選ぶのに苦労しましたが、以下の通りです。(年代は公開年)

1位  私が棄てた女  1969年
 なんと言っても私にとって忘れられぬ映画です。大学受験の帰りに偶然神戸の三宮でこの映画のポスターをみつけて「さんちかタウン」の地下にあった映画館で観ました。
 映画館には私のほかには後ろの席に女性が一人いるだけで、同時上映は藤田敏八監督の「非行少年 若者の砦」でした。遠藤周作の小説を映画化したものです。
 映画は白黒ですが、主人公のミツが施設(老人ホーム)で相馬盆歌を歌いだすとパッとカラーになり相馬野馬追のシーンになるところは鮮烈でした。
 その相馬野馬追も福島原発の事故で開催が出来ないとのこと。日本もなにか大事なものを棄ててきたのではないでしょうか。 
 この映画の監督浦山桐郎は本作品の後いくつかの映画を撮りましたがぱっとせず酒におぼれて54歳の若さで亡くなっています。
 尚、私の後ろにいた女性(おばさん)は途中から泣き出して、その泣き声がずーっと聞こえていました。こんな経験はこの映画の時が最初で最後でしょう。

2位  帰らざる日々  1978年
 藤田敏八監督の作品です。当時流行っていたアリスのヒット曲を題名にしたようです。
 どこでみたのか粗筋も忘れたのですが、忘れられぬ映画です。
 2人の男(永島敏行と江藤潤)の青春の傷跡を描くもので、ラストシーンでアリスの歌が流れて主人公(永島敏行)が傷つけた親友(江藤潤)を置いて汽車で故郷を離れていくところは泣きました。
 甘いですかね。
 藤田敏八監督では「八月の濡れた砂」も良かったですね。

3位  男はつらいよ  1969年
 私が高校3年の時に第1作が公開されています。
 当時二軒屋駅の近くでこの映画のポスターを観た記憶があります。
 しかし、実際に観たのは大学1年の時です。
 阪急三宮駅にあった電車の音がきこえる「阪急文化」という映画館でみました。
 松竹の「男はつらいよ祭り」という企画で第1作から公開済みの7作目(奮闘篇)までを上映しており、一気に全てを観た様に思います。 
 とにかくおもしろかったですね。その一言です。寅さんも若くて元気だった。
 その後もこの映画はみていたのですが、結婚してから映画を観なくなり、この映画もいつのまにか観なくなりました。
 最近TVで後藤久美子のでてくる最後の方の作品を観たら、甥っ子が大学生になっていました。

4位    遊び     1971年
 神戸新開地の映画館で深夜映画(昔ありました)でみた中の一本です。
 少年と少女(関根恵子)が何かトラブルを起こして逃走するという粗筋だったとおもいます。 
 これだけの話しなんですが、最後の方で2人が川に入って追っ手から逃げていくところは、映画とわかってはいるのですが、なんとか二人を逃がしてやりたいと切ない気持ちになっていました。監督は増村保造で大映最後の監督作品であり、原作は野坂昭如でした。

5位    幸せの黄色いハンカチ   1977年
 有名な映画です。東京の「笹塚京王」で新入社員の時に観ました。
 北海道の雄大な景色、武田鉄矢のユーモアある演技、高倉健の渋い演技(出所後は初めてラーメンをすするところ)そして最後にどうなるかと黄色いハンカチ(けっこう枚数が多い)が風にたなびくところは感動しました。

6位    忍ぶ川   1972年
 いわゆる文芸映画です。三浦哲郎の小説(芥川賞)を熊井啓監督が映画化しています。
白黒映画でした。昭和30年代の東京がきれいに撮れていました。
と言ってもやはりお目当ては栗原小巻(当時27歳)のヌードでしたね。
 当方、当時サユリスト兼コマキストでした。

7位    影の車   1970年
 これも松本清張の小説を映画化した文芸映画です。当時私は高校3年生、小松島にあった「南海座」という映画館でみました。
 いわゆる子供の犯罪を描いたものですが、主演女優の岩下志麻(当時 29歳)の大人の色気にまいりました。これからしばらくが岩下志麻のいわゆる「女ざかり」だったのですね。
  「内海の輪」もよかった。  

8位    女渡人   1971年 
 東映のいわゆるヤクザ映画です。主演は藤純子(当時25歳)でした。藤純子はこの映画シリーズ(続編の「おたの申します」の2作)よりも緋牡丹博徒の方が有名なのですが、緋牡丹の方は見損なってこの映画で藤純子の美しさを初めて知りました。映画館は「小松島東映」です。
 この映画のあと藤純子は結婚のため惜しまれながら芸能界を引退をしました。
 その後冨司純子としてカムバックしていますが。

9位    初恋・地獄篇   1968年 
 京都の新京極の名画座でみました。監督は羽仁進(なつかしい!)で脚本を寺山修司(なつかしか!)が書いています。思春期の性の悩みを描いていた様に思いますが内容は記憶にありません。 
 ただ、主人公の名前がシュンといって当方(俊介)と同じだったので記憶に残っています。
 しかし、俊介という名前は昔は少なかったのですが今は阪神タイガースにコブクロとえらい増えて価値が下がっています。残念。

10位    白い指の戯れ   1972年 
 いよいよネタが無くなってきました。最後は色々とお世話になった「日活ロマンポルノ」で締めます。
 小松島にあったロマンポルノ専門館でみました。この映画当時のキネマ旬報でえらい評価が高く、観なければいけないとの強迫観念でみたような記憶があります。しかし、今全く何も覚えていません。
 荒木一郎(なつかしい!)が出ていたようです。まあ観たと言うことに価値があるのでしょう。
 この映画の監督の村川透、その後松田優作の映画を撮っていたこともあるのですが、いまはTVで2時間ドラマを撮っています。時々エンディングで名前をみてなつかしくなります。43年前ですが。

我が青春の洋画ベスト10

我が青春の洋画ベスト10


福本俊介(1組)


 
私が若い頃に観たなつかしい洋画のベスト10を記します。
あまり本数を観てないので10本選ぶのに苦労しましたが、以下の通りです。(年代は公開年)
                   
1位  タクシードライバー  1976年
 東京の封切館で見ました。新入社員の頃でした。神戸から東京にでてきて、訳もわからずうろうろしていた時期です。
ベトナム戦争から帰還した主人公(ロバート・デ・ニーロ)がニューヨークの醜さに怒って拳銃をぶっ放すという物騒な映画でした。当時の自分の心情に合致するところがあって忘れられない映画です。主人公が拳銃を持って鏡の前で自分を写すシーンは不気味でした。当時まだ少女であったジョディ・フォスターが娼婦役で出ています。

2位  スティング  1974年
 何故か小松島のグループで大阪に遊びに行った時に見た映画です。N君のお薦めで映画館(阪急梅田の前にあった封切館)に入って見ました。
何も知らずに見たのでまんまと自分もだまされ、だまされた快感?で気持ちよくなった記憶があります。映画の中で流れるピアノ音楽もよかったですね。
あのだまされた男になった俳優(ロバート・ショウ)のいかつい顔で忘れられません。「ジョーズ」では鮫に食い殺されていました。

3位  激突!  1973年
 神戸の二番館でみました。2本立ての中の1本だったと思います。
何も期待せずにみていたのですが、途中から恐怖とスリルで画面に見入っていました。その内大型ローリーが生き物の様にみえてきました。車の運転手の顔が見えないのも不気味でした。
この映画を作った監督(スティーブン・スピルバーグ)があの様な売れっ子監督になるとは予想外でした。

4位  ジュリア  1978年
 何故見に行ったのか記憶にないのですが、良かったですね。
一口で言えばナチの抵抗組織に入った友達とその友達を助ける女性の友情を描いている映画となるのですが。お金か何かを女友達から預かりナチの目を掻い潜って目的の人に渡すまでの過程が緊張感がありスリリングでした。
ジェーン・フォンダが運び人の女性作家役、監督は「ジャッカルの日」の名匠フレッド・ジンネマンでした。

5位  哀愁のパリ  1971年
 昔、神戸の三宮に「ビッグ映劇」という名画座がありました。確か当時(昭和46年頃)入場料200円で封切りで公開された洋画が遅れて見れたように思います。この映画はこの名画座でみた映画です。
全く予備知識が無くて見たのですが、とにかく若い男(ルノー・ヴェルレー)を弄ぶ年上の女性(マリナ・ブラディ当時32才)の大人の色気にまいりました。
このマリナ・ブラディはまだ存命のようです。ルノー・ヴェルレー、なつかしいですね。元気にしているのでしょうか。

6位  フェリーニのアマルコルド  1974年
 イタリア映画の巨匠であるフェリーニ監督の作品です。フェリーニの少年時代を描いたもので、分かりやすい映画です。
細部はもう忘れたのですが、大きな船を家族でみにいくとか、おじさんが木に登って下りてこないとかのシーンを覚えています。
映画館を出て見る風景が何故かきれいにみえた記憶があります。この映画の持つ映像の力がそうさせたのでしょう。
尚、アマルコルドとはフェリーニの故郷の方言でエム・エルコルド(私は覚えている)がなまったものらしいです。

7位 悲しみの青春  1971年
 神戸、三宮の封切館「スカイシネマ?」で見ました。
題名の通りナチスによって収容所に送られるイタリア在住のユダヤ人の悲しい青春を描いたものです。重いテーマですが、なんと言っても主人公に紛するドミニク・サンダ(当時23才)の凜とした美しさが胸にしみました。
監督はイタリアの名匠ヴィットリオ・デ・シーカです。

8位 ひとりぼっちの青春  1970年
 「悲しみ」の次は「 ひとりぼっち」です。当時、青春が題名につく映画が多かったようです。
「青春の光と影」という映画もありました。
この映画、京都の「祇園会館」で見たように思うのですが、とにかく暗い映画でした。
米国の不況の時代(1930年代)にカップルの2人(ジェーン・フォンダとマイケル・サラザン)がマラソンダンスという競技に出て、賞金目当てに参加して踊り続けるというものです。
救いのない映画でしたが忘れられない1本です。

9位 アルフレード アルフレード  1973年
 もてない独身男(ダスティン・ホフマン)が結婚してえらい目にあうという悲喜劇映画です。神戸元町にあった二番館「元映」で見た記憶があります。
当時、当方ももてない独身者であったのでこの主人公の辛さが身にしみました。
イタリア映画で監督は「鉄道員」で有名なピエトロ・ジェルミでした。
ところで米国人のダスティン・ホフマンはこの映画の中でイタリア語を喋っていたのでしょうか。
確かめたいものです。今頃気になりました。

10位 バングラディシュのコンサート  1972年
 最後は音楽映画です。
この映画もどこかの二番館で見た記憶があります。
当時、洪水で大きな犠牲者を出したバングラディシュを救おうと元ビートルズのジョージ・ハリソンがチャリティコンサートを行った、そのドキュメント映画です。
この映画で初めてボブ・ディラン、エリック・クラプトン等の姿を見ることができました。
ジョージ・ハリソンが出だしにドラマー二人(リンゴ・スターとジム・ケルトナー)を従えて
「Wah-Wah」を歌いだす瞬間はなんともいえずいいですね。
あとボブ・ディランの「女の如く」とか見どころ一杯でした。

                                     以上

私が中年の頃に観た映画ベスト10

私が中年の頃に観た映画ベスト10

福本俊介(1組)



私が中年の頃に見たなつかしい映画を10本記します。
何分結婚してから全く映画を見なくなったので10本選ぶのに苦労しましたが、以下の通りです。(年代は公開年)

1.E.T    1982年
 新婚ほやほやの頃女房と大阪で見ました。
子供が自転車で空中を飛ぶシーンは良かったですね。
後は覚えていません。子供向けの映画でしょう。
 
2.ガンジー 1983年
 これも新婚のころ徳島ホールで女房と一緒に見ました。5月の連休の頃だと思います。
インドの有名な独立運動家のガンジーの伝記映画だったと思いますが、ガンジーに扮した俳優が実物のガンジーによく似ているということしか覚えていません。
 
3.天城越え  1983年
 大阪の高槻市の商店街にあった二番館でみました。女房と一緒でした。
前知識無しで見ましたが、これは良かったですね。田中裕子が不憫な女を熱演していました。
原作は松本清張で川端康成の「伊豆の踊り子」に対抗して書いたといいます。
底辺の女を描いてまさしく松本清張らしい小説です。
 この映画の3年後に石川さゆりの名曲「天城越え」が出ています。この曲も松本清張の小説から出来たとのこと。
 今年の春、天城峠に旅行で行ってきました。浄蓮の滝には石川さゆりの銅像がありました。
の映画と石川さゆりの歌はセットになっていますね。

4.女と男の名誉  1985年
 何故この映画をみたのか記憶がありませんが、これも女房と一緒でした。
マフィアに属する男女(ジャック・ニコルソン)と(キャスリーン・ターナー)がお互い化かしあいをするという話しだったと思います。
 始めはまじめな映画と思って見ていたのですが、途中からこれは喜劇だ分かりました。
後で監督が米国映画の巨匠ジョン・ヒューストンと知って驚きました。当時まだ、生きていたのです。1987年に死んでいます(81歳)。
  
5.片翼だけの天使  1986年
 当時ベストセラーになった小説(生島治郎著)の映画化でした。
小説家である主人公(二谷英明)が韓国人のトルコ嬢(秋野 暢子 )を好きになり、結婚に至るという筋であったと思います。
片言の日本語をしゃべるトルコ嬢を演ずる秋野 暢子がよかったですね。彼女の映画を見たのはこの映画しか記憶にありません。当時彼女は27歳、小生33歳でした。2人ともに若かった。
 
6.ラスト・エンペラー  1988年
 中国の最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の生涯を描いた映画です。東京の「笹塚京王」で見ました。
上映時間が長いとか、坂本龍一の甘粕役及び彼の音楽ぐらいしか覚えていないのですが、最後にこおろぎが玉座のあたりを動くシーンは良かったですね。こおろぎにとって中国の歴史など一瞬のものなのでしょう。
 
7.タイタニック 1997年
  家族で正月に徳島の「OS劇場」で見ました。ディカプリオのポスターがもらえるとのことで映画館の入り口には行列が出来ていたのを覚えています。
最後の方でディアプリオが扮する主人公が海に沈んで行く所は当時の「OS劇場」が経費節約の為か暖房が効かず、自分も寒くなり海に沈んでいくように感じました。
 その後しばらくして「OS劇場」は閉鎖となりました。
  
8.恋におちたシェイクスピア 1998年
 広島の当時のワーナー・マイカル・シネマ(段原)で見ました。記憶が薄れてあまり覚えていないのですが、良かったですね。
まだ有名になる前のシェイクスピアの話しです。創作のようですが。若さが画面にあふれていました。元気になりました。 

9.フラバー 1998年
 上記と同じくワーナー・マイカル・シネマ(段原)で見ました。
とにかくおもしろかったですね。主人公(ロヴィン・ウィリアムズ)が不思議な物体を発見して大活躍するというものです。
 この映画、1961年公開の「うっかり博士の大発明 フラバァ」のリメイクであることを後で知りました。 

10.恋愛小説家 1998年
 評判になっているので見にいったのですが、全く覚えていません。
恋愛映画は単調です。

私が選んだ黒澤監督映画ベスト10

私が選んだ黒澤監督映画ベスト10


福本俊介(1組)



私が選んだ黒沢明監督の映画ベストテンを記します。
名作ぞろいで優劣つけるのが難しいのですが
以下の通りです。(年代は公開年)
尚、下記映画の殆どを「広島市映像文化ライブラリー」で見ています。

1位 七人の侍    1954年(昭和29年)
 なんと言っても黒沢映画といえばこれでしょう。
しかし、残念ながら映画館では見ていません。  
TVの淀川長治「日曜映画劇場」で初めて見ました。
高校生の時だと思います。とにかくおもしろかったですね。
クライマックスの雨中の決戦は息もつかせぬアクションの連続でした。
前半の七人の侍選びもおもしろい。

2位 天国と地獄   1963年(昭和38年)
 サスペンス映画です。誘拐事件の電話から始まるのですが、この映画も息もつかせぬサスペンスです。
 横浜の町から色のついた煙がでるところは意表をついており驚きました。
犯人役の山崎勉は当時27才でこの映画でブレイクしたらしいです。 
当時の研修医(インターン)は貧しくて夢が無かったようです。

3位 生きる   1953年(昭和28年)
 私が映画を見始めた高校生の時の映画雑誌「キネマ旬報」で日本映画ベストテンの第一位がこの映画であった記憶があります。
今なら小津安二郎「東京物語」でしょうね。
 映画的には主人公が癌の告知をうけて色々と動き回った後、急に通夜の場面になって皆が喋りだすいうのが意外でした。カットバック形式の脚本がうまいですね。
 伊丹十三監督の「お葬式」に雰囲気が似ていました。
最後の市役所の落ち(お役所仕事)は見事でした。
    
4位 酔いどれ天使    1948年(昭和25年)
 終戦直後の東京の闇市を舞台にチンピラとアル中の医者の交流を描いた作品。
酔いどれ天使はチンピラではなくてアル中の医者(志村喬)の方でした。
この映画はチンピラ役の三船敏郎の圧倒的な魅力につきるでしょう。
最後の乱闘シーンでペンキの入ったドラム缶をけとばして中に入ったペンキが流れ出し、三船が倒れていく所にはしびれました。
三船はこの映画が黒沢映画初出演だったとのこと。
 故今村昇平監督はこの映画をみて映画監督を志したといいます。
この映画は当時の若者に強烈な影響を与えたようです。

5位 野良犬   1949年(昭和24年)
 中身は良く覚えていないのですが、引き込まれました。
ただ、何分フィルムが古くて画面が暗いのが難点でした。
犯人を泳がすというのがユニークでした。  
また、刑事二人が事件の犯罪者を追っていくという原型がこの映画だったようです。
昨年亡くなった女優の淡路恵子の映画デビュー作でもあります。

6位 素晴らしき日曜日  1947年(昭和22年)
 終戦直後の東京を舞台に若くて貧しい恋人二人の一日を描いたものです。
派手なアクションシーンは無くて黒沢映画らしからぬ映画です。
しかし、地味な作品ながら主人公の二人の気持ちがよく伝わってきて良かったですね。
昭和22年当時の世相もよくわかります。
  
7位 椿三十郎  1962年(昭和37年)
 この映画、最後シーンで仲代達也の体から血が噴水の様に噴きだす所が有名です。
しかし、私はそれよりも三船敏郎が入江たか子親子の間遠い言葉にいらだつところや、椿の色で情報を伝えるというのがおもしろかったですね。
知的な時代劇です。
 若い侍の中に加山雄三とか田中邦衛がいるのが時代を感じさせました。
  
8位 隠し砦の三悪人  1958年(昭和33年)
 今評判になっている映画「スターウォーズ」の元になった作品として有名です。
確かにチビとノッポのロボットはこの映画のコンビに似ています。
三人の男がお姫様を連れて敵国を脱出するという筋ですが、色々とおもしろいエピソードがあって楽しめます。
関所を一行がうまく通り過ぎる所や、槍を使っての果し合いのシーンを覚えています。
 
9位 デルス・ウザーラ  1975年(昭和50年)
 ロシアのシベリアを舞台に先住民のデルス・ウザーラとロシア人探検家の交流を描いたものです。
日本とソ連の合作映画で言葉はロシア語です。
シベリアの広大さとデルス・ウザーラが自然を畏怖するところが良かったですね。
この映画をみると黒沢明は海外でもっとすごい映画が撮れた様な気がします。
    
10位 影武者  1980年(昭和55年)
 カンヌ映画祭のグランプリを取ったことで有名になりました。
確かに雄大な時代劇(馬が多い)というのは分かったのですが、なにが言いたいのかいま一つ分かりませんでした。
 主役が仲代達也ではなくて勝新太郎であれば面白かったかもしれません。
この映画だけは封切りの映画館でみています。
                                  以上