酒場妄想記Ⅰ

酒場妄想記Ⅰ

蔵本 芳弘(1組)



酒場放浪記ならぬ「酒場妄想記」という新連載をいつまで続くかわかりませんが書いてみます。

1.銀座博品館裏 「リトル沖縄」

  • 又従兄弟と飲んだ店だ。銀座で沖縄料理の店はあまり見かけない。ゴーヤチャンプルは沖縄で食べるより美味い。豆腐ヨウなど料理の種類も多いし古酒泡盛も豊富だ。しかも安い。


2.長野県奥蓼科温泉 「明治屋旅館」

  • 15年まえ東京商工会議所から研修の案内があり専務から参加しろと言われた。蓼科の研修センターで2泊3日の研修を受けた。足をのばして奥蓼科温泉に1泊した。三段の滝が流れる崖に旅館が建っていた。殆どが登山客だ。滝の見える露天風呂にはいり諏訪の地酒「真澄」を飲みながら読書三昧して短い避暑を楽しんだ。


3.長野県上田市 信州そば「刀屋」

  • 信州学者村に住む野鳥彫刻の先生に習いに行った。教えてもらった「刀屋」でそばを食べた。ボリュームたっぷりで美味い。信州そばを代表する店のひとつだ。


4.長野県小諸市 小諸そば「草笛」

  • 大学同期の墓参りに行った。浅間山が見える霊園だった。友人と懐古園まえの「草笛」で佐久の地酒、千曲錦の熱燗を飲み亡き友を偲んだ。因みに千曲錦の息子はわが社の部長で仕事を一緒にしたことがある。


5.長野県別所温泉 「そば久」

  • 野鳥彫刻を習った帰り道、別所温泉に立ち寄った。池波正太郎の「真田太平記」に幸村が別所温泉で傷を癒したくだりを思い出し共同湯に入った。地元の人に教えられた「そば久」に行った。北信で上位にランクされる蕎麦屋だと思う。


6.長野市善光寺門前 そば「北野屋」

  • 長野市は出張でよく通った。戸隠の「大久保の茶屋」でそばを食べた。創業100年「北野屋」は参道にあり芸能人の色紙がたくさん貼ってある。地酒も揃っている。市内のいたる所に蕎麦屋がありどの店もレベルが高い。


7.長野市 「すき亭本店」

  • 代理店と飲んだ店だ。りんごを牛に食べさせ味がよいと評判の信州牛の店だ。北斗というりんごをおみやげに買った。蜜が多いので腐りやすく地元しか流通していない。車のなかは香りが充満し息苦しいほどだった。今でもお裾分けした人から「あんな美味いりんごは食べたことがない」と言われる。


8.長野市権堂 居酒屋「青やぎ」

  • 長野は教育県なので繁華街は権堂の一部しかない。酒を飲み遊びたい人は戸倉上山田温泉に行く。「青やぎ」は繁華街の真ん中にある地元で有名な居酒屋だ。ここは居酒屋、スナック、バーが大きなビルに雑居している。繁華街だがネオンが少なく暗い。地元の人に案内されないと飲み屋がどこにあるのかわからない。長野は小さな酒蔵が多いので新潟の大手酒造会社の酒に席巻されていた。魚は直江津から直送される。新潟で飲んでいると錯覚するぐらいだ。上越の人は買い物に新潟市へ行かず長野市の東急デパートに行く。謙信の昔から越後と信州は交流が深い。


9.長野県小布施町 そば「せきざわ」

  • 25年まえ新潟から黒姫山を越え長野市で仕事をして須坂から飯山の現場を視察する日帰り出張を何度も繰り返した。途中、須坂市の豪商「田中家」を見学し小布施でそばを食べた。「せきざわ」は信州そばの十指に入る店だと思う。飯山市も蕎麦屋が多い。ホテルに近い蕎麦屋で岩魚や山菜の天ぷらで地酒を飲んで騒いでたら亭主に「ここは蕎麦屋だ!蕎麦を食え」と叱られた。飯山から上越へ抜ける峠を越えた所に幻の霧下そばの店がある。「おやまぼくち」という野草(ヤマゴボウ)をつなぎにした蕎麦だ。H16年信越トレイルという1000m級の山脈の尾根をトレッキングできる道が開通した。新潟の松之山温泉から野沢温泉、飯山、斑尾高原に至る80kmをボランティアが整備した。峠に風車を建てる計画があり何度か現地調査した。戸狩野沢温泉駅に「石田屋一徹」というヤマゴボウをつなぎにした蕎麦屋がある。天然温泉があり宿泊もできる。いつかここで泊まってバードウォッチングしながら信越トレイルを歩いてみたい。


10.長野県戸倉上山田温泉「笹屋ホテル」

  • 25年前、ここで仕事をした。笹屋ホテルは志賀直哉が泊まった宿だ。長野市の奥座敷と言える温泉街だ。千曲川の土手を散策した。川風が気持ちよかった。


11・秋田県 「黄金崎不老不死温泉」

  • デンマーク製の400kw風車を建てた。風力発電の初期の頃だ。750kwが主流になり数年で1000kwから1500kw級になった。今や2000〜3000kwは当たり前、洋上風車は5000kwの時代だ。技術革新の早さを感じる。秋田駅から五能線に揺られて行く。鉄錆び色の温泉だ。露天風呂は浪打際の混浴風呂だ。夕日が沈むころが最高だ。1軒宿で周りは何もない。なぜか旅情を誘う温泉だ。


12.都庁裏 居酒屋「品川亭」

  • 吉田類のTVで有名になった。怪我した時、お客様から都庁裏の十二社(じゅうにそう)温泉が傷にきくと教えてもらった。コーヒーのような温泉だった。3回入って傷の治りが早いと感じた。NHKのブラタモリで江戸時代ここは池があり料亭が並ぶ風雅な所と知った。ビルの地下にあった温泉は閉店した。バス停に名前が残っている。温泉裏の路地を下り昔の池の底に店がある。新宿の高層ビルに囲まれながら昭和の雰囲気を残す奇妙な居酒屋だ。熊野神社の前の路地を下るとすぐ見つかる。熊野神社のカラスは凶暴で人を襲う。注意しないと頭をつつかれる。新宿副都心は昔の淀橋浄水場だ。鴨やカワセミが飛び長閑な土地だった。大叔父が関東大震災後、深川から中野に引っ越した時は野うさぎが飛び跳ねるほど田舎で都心が一望できたそうだ。


13.神田神保町 さつま居酒屋「兵六ひょうろく」

  • 独身のころ会社で「駿河台友の会」を結成した。天ぷらの「いもや」や「ミロンガ」でビールを飲んだり、ニコライ堂まえの親戚の寿司屋で宴会した。駿台予備校やアテネ・フランセに通ったとか下倉楽器でギブソンのギターを買ったとか青春の1ページを御茶ノ水で過ごした人は誰でも参加資格があった。そのうちただの飲み会になり上司まで参加するようになった。いつも同じ店だと飽きるので三省堂裏の路地にある兵六でさつまあげをつまみに薩摩焼酎を飲んだ。学生時代は中年親父がたむろする店で全く興味がなかった。今は古書店街で2代続く貴重な店だと思う。


14.横浜市野毛 「松葉寿司」 

  • フリーペーパー「ぱど」のK社長が会長になる新聞記事を見た。Kさんは会社で1年後輩だ。日吉寮も同じで関西人だからうまがあった。京大院卒でコンプレッサーの技術者だった。米国に留学し社内ベンチャーに応募し米国流のフリーペーパー誌を企画した。畑違いだと反対が多かった。当時の経営者は懐が深かった。30年まえ桜木町にベンチャー企業としてスタートした。その頃、激励に行った。ヨチヨチ歩きで資金繰りに苦労していた。野毛の老舗「松葉寿司」で飲んだ。美空ひばりが愛した店だ。子役時代の悲しき口笛の銅像が店の前にある。ぱどは今やギネス世界1位だ。又従兄弟がベンチャーの先駆者Kさんと対談し会食した。その時、私の話題が出たと話してくれた。


15.藤沢市「隠れ里 車屋」

  • 芙蓉カントリーの入り口にある。バブルのころ出来た接待用の料理屋だ。新宿歌舞伎町が本店だ。藤沢工場の半導体製造機械の事業本部長になった同期と飲んだ。ステーキ、和食何でもある。ハレの日に家族で食事するにはよい店だ。


16.藤沢市 居酒屋「久昇」

  • 地元で有名な店だ。地元に住む代理店の課長と飲んだ。小田急南口を出て西側にある。太田和彦氏の本にでた。銘酒も多く煮込み、おからといった定番のつまみが美味い。


17.藤沢市 会席料理「茶寮若狭」

  • 地元に住む同期に教えてもらった店だ。久昇より奥にある。個室でゆっくり食事できる。工場見学のお客様と食事するとき重宝した。


18.小田原市 老舗日本料理「多留満だるま」

  • 創業120年、破風造り建築は登録有形文化財だ。1階は食堂で2階は宴会ができる。駅前で大学同期が司法書士を35年以上している。学生時代、阿波踊りを踊りに来た。開業時は机1つだったが今や地元の名士だ。彼に相模湾でとれた伊勢えび料理をご馳走になった。店構えは料亭風で立派だが値段も雰囲気も庶民的だった。


19.葉山市 日本料理「日影茶屋」

  • 葉山御用邸を流れる川の1km上流に創業者の別荘「茅山荘」があった。茅葺の山門を入ると広大な庭園が広がっていた。朱塗りの橋を渡り坂を登り本館と思ったら能舞台なので驚いた。広くて庭園内を右往左往した。川のほとりでバーベキューを楽しんだ。茅葺の庄屋屋敷の囲炉裏端で酔っ払って雑魚寝した。翌朝、葉山マリーナにある会社のクルーザーで大島沖まで行き釣りをした。帰りに秘書のI女史に案内されマリーナの前にある日影茶屋で食事した。江戸時代から続く料理旅館だ。今は和食、フレンチ、お菓子の老舗だ。ここは大杉栄が神近市子に刺された事件で有名になった。茅山荘とクルーザーは売却、別法人の所有になった。今はお茶会に利用され一般に開放する時もあるようだ。


20.相模原市 水郷田名 料亭「なかむらや」

  • 江戸時代、田名は鮎漁と水郷の風光明媚な土地として栄えた。30年前、三菱重工相模原工場でエンジンの性能試験に立ち会った。帰りに三菱の代理店から接待された店だ。相模川と工場の近くに立派な料亭があるので驚いた。


21.浜松町立ち呑み「秋田屋」

  • 浜松町で子会社の人と「秋田屋」で飲んだ。ビール箱をテーブルに店の周りは立ち呑み客で一杯だ。最初は躊躇するが今や女性も立ち呑みする時代だ。煮込み、もつ焼きが美味い。高清水があるので秋田県出身者の店かもしれない。


22.湯島 居酒屋「シンスケ」

  • 日吉寮を年齢オーバーで追い出され銀座に近くて家賃の安い物件を探したら本郷三丁目にあった。結婚するまで1年間住んだ。我輩は猫に「かねやすまでは江戸のうち」とあるが本当にかねやすビルがあるので驚いた。ルオーのカレーは美味かった。創業130年、すき焼きの「江知勝」は高級そうで前を通り過ぎた。東大の先生が飲みに来る「シンスケ」で飲んだ。夕方、常連客がおらずご亭主と二人で緊張した。しめ鯖と熱燗は美味かった。帰りは東大キャンパスの中を通って帰った。東大生が挨拶するので礼儀正しさに感心した。


23.新宿東口 ビア&カフェ「BERGベルク」

  • 新宿御苑でバードカービング展があり久しぶりに新宿を散策した。ベルクは新宿ルミネ地下にある有名な喫茶店だ。昼から酒が飲める。ルミネから退去を要求され客が反対の署名運動を起こした。本になった店だ。一日1500人が来店する。安くて美味い回転率の高い店だ。喫茶店だが利酒師がいる。世界の樽生ビールが昼から飲める。新宿の文化発信地のような店だ。


24.有楽町高架下センター商店街 インドマグロ「玉菊」

  • 都庁が有楽町にあった頃、第2庁舎によく通った。雨が降るとJR高架下を歩き交通会館を抜けて首都高の下の銀座INZ商店街から銀座地下街を通りソニービルまで傘をささずに行けた。都庁が移転し東京駅寄りの高架下商店街は無くなったと思っていた。先日、東京駅八重洲口を出て立ち呑み「君嶋屋」で呉の華鳩古酒を飲んだ。オーク樽で寝かせたシェリー酒のような味だった。休日だが高架下の店は夕方から開店していた。昔より店は減ったがもつ鍋の「ヒノマル食堂」は女性客で繁盛していた。「ニュー加賀屋」も昔のままだ。玉菊のマグロは美味い。マグロ以外のつまみも多い。酒も安い。うなぎの寝床のような店だ。若者が多い店は五月蝿い。玉菊は落ち着いて飲める店だ。


25.下北沢 居酒屋「両花」

  • 野鳥彫刻の専門店が小田急線「梅が丘」にある。店主のベンさんに教えてもらった店だ。下北沢で乗り換える時に立ち寄る店だ。下北は松田優作や古田新太が飲んで喧嘩するイメージが強い。飲む時間が早いのか芸能人に会ったことはない。銘酒の品揃えは下北No1だと思う。つまみは秋刀魚のサンドイッチのように自由な発想のつまみが多い。隠れ家的な穴場だ。

酒場妄想記Ⅱ

酒場妄想記Ⅱ

蔵本 芳弘(1組)



26.三軒茶屋 銘酒居酒屋「赤鬼」

  • 三茶は縁が深い。三茶が地元のM都議会議員は会社の2年先輩だ。慶応のアメフトOBだ。現場帰りにヘルメットを被り並木通りを闊歩していた。今では考えられない光景だ。当選した時から事務所に何度か伺ったことがある。後年、議会棟で面会した時はベテラン議員になっていた。演説も格段に上達していた。また碁の強いM副社長の墓が豪徳寺にあった。墓参りの後で門下生は精進落しに三茶で飲んだ。酒好きで鬼瓦のごとく容貌魁偉な人柄を偲んで赤鬼で飲んだ。銘酒酒場だけあって十四代がすべて飲めるのは凄い。つまみも酒にあわせ凝っている。芸能人も来る店だ。


27.新大阪、西中島南方 宇和島郷土料理「媛」

  • 広島時代、新大阪は顧客訪問でよく通った。部下が新大阪駅前の子会社に異動し彼と飲んだ店だ。宇和島の郷土料理で地酒が飲める。出来立てのじゃこ天、鯛茶漬けが美味い。新大阪駅前はランチが安い!広島より200円は安いと思う。味、量ともに競争が激しいのでレベルが高い。飲むなら梅田より新大阪が穴場だ。


28.曽根崎新地 JAZZバー「ケリーズバー」「JAZZ&バー96」

  • JAZZ好きの先輩とビルボード大阪でTOKUさんを聞いた。新潟明訓高校から米留学した本格派だ。フリューゲルホルンと歌の上手さで脚光を浴びた。先輩が大阪に戻り出張の度にJAZZバーで飲んだ。泊まるホテルの1階にあるケリーズバーが多かった。先輩はJAZZバーのはしごを常とした。覚えているのはJAZZ&バー96ぐらいだ。大阪駅前はJAZZバーが多い。


29.名古屋栄 肝料理「肝屋嘉正亭みその」

  • 大学の同期と飲んだ店だ。牛、馬のレバー料理が満載だ。体によくないが上手い!石焼レバニラ炒めが美味かった。酒も滋賀の地酒、浅茅生があった。御園座に近い。安くて美味い地元で評判の店だ。〆に「いば昇」でひつまぶしを食べた。若かったのか今では考えられない飲み方だ。


30.三田 居酒屋「駒八本店」

  • NTTに風車を売った。久米島に1本建てたが台風のたびに故障した。また太陽光発電で水質を浄化するUFOそっくりの直径10mの装置を市谷のお堀に浮かべた。駅のホームから見えるのでNHKの取材を受けた。当時NTTと環境関連の会社を設立した。T大野球部OBのS社長とよく飲んだ。役員会には顧問としてT大のY先生が出席した。駒八は先生がシーカヤックでマゼラン海峡を横断した祝賀会を開いた店だ。先生は総理のご意見番だった。「総理がアルゼンチンの大統領に日本の宝のような先生が行くから宜しくと電話するもんだから海軍の駆逐艦とヘリの護衛つきで恐縮したよ〜」と話された。ごま塩頭にジャージー姿は職人のようで大学教授に見えない。だが理系文系の領域を越えた知的射程距離の長さに驚かされた。創立10周年パーティーで著作本にサインして頂いた。環境問題の本質は地球の限界を越えた人類の異常繁殖にあると喝破される。今こそ発想を転換し自然循環系サイクルに戻すため英知を結集し日本がリードすべきだと説く。ラジオで先生の声を聞くと駒八での座談の楽しかったことを思い出す。駒八は三田界隈で30年以上続く老舗で支店も増えている。


31.新宿駅東口アルタ裏 洋食「アカシア」

  • 連休に私用で代々木のオリンピック青少年センターに泊まった。早朝、代々木公園を散歩した。オランダ選手村の宿舎が保存されていた。会議は午前中に終わった。帰りに新宿駅西口から東口へ抜ける思い出横丁を通った。通称しょんべん横丁も臭くなく小奇麗になった。うなぎの串焼きで酒を飲む「カブト」は休みだった。銘酒酒場「安兵衛」は全国の地酒が飲める。入り口の大きな日本地図に地酒名が書いてある。知らない酒が多かった。昼食は久しぶりに「アカシア」で安くて美味い名物ロールキャベツを食べドイツビールを飲んだ。40年前と味もレトロな雰囲気も変わらない。学生時代、伊勢丹裏のテアトル新宿で映画を見た帰りによく食べた。今や羽田空港とドイツに店を出している。


32.新宿駅西口 「ニューヨークグリル」

  • オリンピック青少年センターの窓から新宿の高層ビルが見えた。パークハイアットホテルの最上階にあるニューヨークグリルでビッグプロジェクトの完成を祝って飲んだ記憶が蘇った。冬だった。夜景がきれいだった。オープンキッチンで活気があった。NYスタイルのステーキを食べた後はJAZZを聞きながらウイスキーを飲んだ。夜景がよく見えるように席は階段状になっている。残念なのは男4人だったことだ。人の目を避けるようデザインされている。照明を暗くし通路が曲がりくねってラビリンスのようなホテルだ。石田純一がよく利用した。コッポラの娘がこのホテルを舞台に映画「Lost・in・translation」を撮ったので外国人に人気がある。


33.新宿高島屋 点心「鼎泰豊 ディン・タイ・フォン」

  • 台北に本店がある世界十大レストラン初の海外店だ。台湾に出張した時、新潟で上司だったNさんが台湾子会社の社長だった。本店で小龍包を食べたいと言うと案内してくれた。間口の狭い店だった。日本人観光客が行列していた。行列の人数が表示されていた。Nさんが台湾人が行くもっと美味くて安い店があると近くの店に連れていってくれた。「群香品」という信義路二段にある麺類、点心、飯類を出す大衆食堂だ。肉汁たっぷりで美味だった。日本の半値ぐらいだった。その後、タクシーで新生南路にある観光客が来ないフカひれの専門店「頂上魚翅専売店GOLDENTOPRESTAURANT」に行った。Nさんは現地の日本人の食べ方を教えてくれた。高級なフカひれとご飯を注文しフカひれ丼にするのだ。絶妙に美味かった。Nさんが行きつけのバーに連れて行ってくれた。中山北路のアンバサダーホテル裏、銀座のような場所だった。台湾美人が天城越えを歌った。Nさんの持ち歌だ。彼女は日本に一度も行ったことがないと言った。「メチャクチャ上手いですね!」と言ったら関西人のNさんは「わしが仕込んだんや!」と鼻の穴をふくらました。新潟ブルース、信濃川慕情と転勤ブルースを歌った。入り口に盛り塩してありママは日本語ペラペラだ。新潟の古町で歌ってるのかと錯覚した。新宿の東急ハンズで買い物した帰りに小龍包を食べた。開店当時はTV取材され行列が階段下まで続いた。お昼だったが何とか入れた。台湾出張を思い出しながら食べていると隣のご夫人が声をかけて来た。顔を見ると設計にいたSさんだった。製作図面を早く出図するため休日出勤させた。お詫びに銀座のママ御用達、並木通り「ピエスモンテ」のケーキを差し入れしたことなど思い出話に花が咲いた。


34.新宿西口角筈 鮮魚直売居酒屋「タカマル鮮魚店3号店」

  • 大学の先輩K弁護士に個人的に世話になったのでご馳走したいと言ったら「事務所の近くに安くて美味い店ができたからそこに行こう」と言われて行った。トロの刺身が大きくて安いのにビックリした。築地の卸屋直営だから新鮮で美味い!1階は鮮魚店、2階は食堂、夜は酒が飲める。酒も十四代など銘酒が揃っている。西武新宿駅前に1号2号店がある。次は歌舞伎町のクラブ「ロンシャン」で飲んだ。K先輩は新宿署に顔がきく。アブナイお兄さんが寄ってきても一言呟くと蜘蛛の子を散らすように去って行った。


35.新宿三丁目 「どん底」

  • 落語好きのK課長と末広亭で落語をよく聞いた。帰りに近くの「どん底」で飲ませてもらった。蔦の絡まるレトロな店で一人では入りづらい。三島由紀夫など綺羅星のごとく著名人が集った新宿文化を代表する店だ。地下のテーブルに座り飲んでいるとアナーキーな雰囲気が漂ってくる。不思議な店だった。


36.荻窪 蕎麦「本むら庵」

  • 武蔵小金井駅から野川沿いに深大寺まで1時間かけて散歩するのが好きだった。武蔵野はハケと言う旧多摩川の河岸段丘から湧き水が出る。大岡昇平の武蔵野夫人の舞台になった。武蔵小金井駅に近い犬養毅が命名した「蒼浪泉園」はハケの湧き水を利用した私の大好きな庭だ。野川公園は昔米軍のゴルフ場だったので広々として気持ちがよい。冬によく鴨を観察した。両親を案内したことがある。近藤勇の墓を見て深大寺でそばを食べた。父が一句ひねった。ちょっとした吟行になった。よく散歩帰りに西荻窪の「こけしや」でカレーを食べたり「本むら庵」で八海山を飲み蕎麦を食べた。こけしやは創業60年、松本清張が編集者と打ち合わせした店だ。本むら庵は創業90年、NYにも支店がある。


37.新潟古町 喫酒「ささ泉」

  • いま新潟で評判の店だ。ご主人は東京で修行した元バーテンダーで酒の本を出した。新潟の地酒は網羅され世界中の酒が飲める。酒にあう創作つまみが美味い。生半可な薀蓄を語る客には厳しい。「菅名岳が飲みたい」と言うと「菅名岳も5種類ある。どんな酒が飲みたいか言ってくれれば合う酒を出します」と言った。「辛口の酒が飲みたい」と言うと「甘いケーキが食べたいと言うのと同じレベルだ」と言われた。めんどくさいが一理ある。具体的に飲みたい酒を表現するボキャブラリーの貧困な人は注文ができない。先日、森君が仕事で新潟に来た。三回目の訪問だ。彼が「お世話になった人に新潟の酒を送りたいがお薦めの酒は?」と聞くと「ネクタイを選ぶより難しい」と拒否された。これだけ酒にこだわった店は東京でも知らない。2軒目は鍋茶屋の前にある芸者置屋を改装したバー町田のカウンターで飲んだ。〆はへぎそばを食った。森君と駄弁って元気をもらった。ちょうど「古町花街ぶらり酒」で敷居が高い割烹、寿司屋など100軒にチケットを買えばだれでも酒つまみセットがだされ梯子酒ができるイベント中だったので若者、女性で混んでいた。古町芸妓も新人が3人入り12名になり花街も賑やかになった。


38.表参道 定食「だるまや」

  • 青山にある国連大学に技術屋を出向させた。彼は今や水ビジネスの評論家だ。著作本は数冊を数え講演で全国を駆け回っている。彼に教えてもらった店だ。青山界隈に安い定食屋があるのに驚いた。青学の学生が来るのだろう。ラーメン餃子、中華定食が安くて美味い。酒も飲める。紀伊国屋スーパーの対面の路地裏にある。


39.上野不忍池 「水月ホテル鴎外荘」

  • お客様と泊まり喜ばれた。都内の天然温泉第1号だ。料理も美味い。敷地内に鴎外の旧宅があり舞姫を執筆した部屋を見学できる。コーヒー色した温泉は日帰りもでき食事もできる。関東平野はかつて海だった。江東区から千葉県茂原市の地下に莫大な南関東ガス田がある。不純物が多い低品質のガスだが東京ガスが利用している。石油はでないが1500mもボーリングすればどこでも古代海洋生物の成分が入った真っ黒い温泉がでる。


40.中野駅北口 居酒屋「第二力酒蔵」

  • 28才のころ大叔母の葬儀があった。学生時代かわいがってもらった。中野サンプラザの辺りは昔、スパイ養成の陸軍中野学校だった。大叔母が「目つきの鋭い軍人さんが歩いていて怖かった」と話してくれた。葬儀には神山町から親戚が30年ぶりに東京に出て来た。大酒飲みだ。私がアテンドを任された。ホテル近くの第二力酒蔵で日本酒を飲ませた。飲み足らないので鰻の串焼きで有名な川二郎でまた飲んだ。ベロベロになってようやくホテルのベッドに寝かせた。中野は学生時代よくブラついた。北口に飲み屋が多い。ラーメン青葉はいつも行列だった。中野ブロードウエーは青島幸男、ジュリーが住んだ高級マンションだった。今はサブカルチャーの聖地だ。南口に橋幸男の実家の呉服屋があった。丸井本店の裏は闇市のような飲食店街で渋い縄のれんの店で飲んだことがある。


41.有楽町交通会館 日本酒バー「后バー有楽」

  • 交通会館地下の奥まった場所に最近開店した。東北の地酒が揃っているバーだ。人の動線から外れた裏通りにあるため分かりにくい。だが酒の品揃えとつまみのレベルは高い。交通会館はグルメ天国だ。その中でも穴場だと思う。


42.赤坂 割烹「貝作」

  • 新エネルギーの仕事をしていたころ上司と飲んだ老舗割烹だ。旬の貝料理が美味い。日本酒も全国の銘酒が揃っている。カウンターもあるが掘りごたつの座敷がある。予算は2万円だが赤坂では安いほうだと思う。議員宿舎に近いので政治家も来るようだ。氷川神社に行く坂の途中にある。坂を登りきり少し下った所に伝説のレストランシアター「コルドン・ブルー」があった。前田美波里のショーを見てホステスとダンスした記憶がある。銀座は12時で閉店する。若い頃はそれからタクシーで赤坂、六本木に行き飲んだものだ。六本木のロアビルに会員制倶楽部があり先輩がメンバーだった。スポーツクラブ、サウナ、読書室、レストラン、バーがありよく利用させてもらった。あの頃通ったディスコやバーは全て閉店した。


43.六本木 「瀬里奈」

  • 六本木は防衛庁があった頃よく通った。電話の受話器に「スパイに気をつけろ」とステッカーが貼ってあった。防衛庁正門前の路地に田崎信也の焼酎バーがあった。JAZZバーでMISTYを聞いた。欧陽非非が住む防衛庁裏、檜町公園近くのマンションに同期の女性が一人で住んでいた。ここで同期の男女がよくパーティーを開いた。この中から3組が結婚した。30年まえ叔父が上京した時「どんな高い店でも奢ったる」と言うから瀬里奈で神戸牛を食べた。ヴァイオリンの生演奏つきだ。帰りのタクシーで叔父が財布を失くした。それから「お前には高い肉食べさせられたわ」と言われ続けた。今でも時間があれば六本木のAXISビルに立ち寄る。デザイン雑誌AXISのビルだからおしゃれなデザインのショップが多い。燕三条のデザイン刃物YOSHIKINのアンテナショップがある。地下にはミシュラン和食店「菱沼」もある。ここに来れば世界最先端の流行がわかり自分だけのデザイン小物が手に入る。


44.銀座新橋会館 天ぷら「天亭」

  • 映画好きのナホミさんが会社を辞めた。しばらくして銀座8丁目の見番通りを歩いていると彼女が浴衣姿で歩いているではないか。驚いて声をかけたら「あたし新橋芸者のバイトしてるの」と言った。上司に報告すると呼び出して飲もうということになった。稽古場のある新橋会館地下の天ぷら屋で飲むことになった。憎まれ口を叩くとナホミさんに「あたしモテモテなのよっ!」と肩をはたかれた。宝塚を受験したぐらいだからスタイルがよく踊りが上手い。手塚治虫が描く少女のように瞳が大きい。仏女優のようにコケティッシュだから社長さんはイチコロだ。芦屋育ちでピアノが上手い上司は聞き上手で彼女の失敗談をたくさん聞き出した。ナホミさんから新橋芸者御用達の江戸小物の「平つか」を教えてもらった。一筆箋や祝儀袋などで重宝した。話が面白くて胡麻油の香り高い天ぷらを味わう間もなくあっという間にコースが終わった。カウンターで食べたが彼女は常連でお店の方と馴染みの会話をしていた。宇佐八幡宮奉献酒の「民潮」という酒をはじめて飲んだ。ナホミさんは厚化粧で20代と年をごまかしてお座敷に出ていた。しばらくして重役に泣きついて再入社した。今はプラントエンジニアのアシスタントで固い仕事をしている。


45.銀座 山形料理「古窯」

  • 退職したS技監を訪ねてマレーシアに行った。日本から4名クアラルンプールで1週間お世話になった。Sさんは奥様とリタイアビザでKLの一等地のプールつき高級マンション住まいだった。家賃10万円だ。お寺で朝粥を食べ、昼はブキッ・ビンタン地区、アロー通りの屋台でバクテーを食べた。土鍋で豚肉を烏龍茶のようなスープで煮込んだソウルフードだが美味かった。ディナーは客家飯店でスチームボート(火鍋)を食べ2日目はTHE SHIPでステーキ、3日目はそごう前の李旺家酒家という観光客が来ない店で飲んで食って一人1000円だった。ゲンティンハイランドという海抜2000mの高原リゾートでカジノをした。saujana golf & country club という世界トップ100に数えられるチャンピオンコースで早朝ゴルフをした。グリーンはマレーシア最速でプロでもタフなコースだ。お昼になると汗が滝のように目に入りパットができない。ジャングルに打ち込むとオオトカゲが居るので危険だ。奥様は添乗員だったのでいたれりつくせりだった。ご夫婦が帰国したとき歓迎会を開いた。Sさんの故郷、山形料理の古窯でいも煮と米沢牛を食べた。上之山温泉の老舗旅館の支店だが銀座で40年以上続いている。出羽桜、十四代、くどき上手と地酒が揃っている。Sさんはオーストラリアに1年いたがゴルフ三昧に飽きてマレーシアに行った。伊勢丹、紀伊国屋、ジャスコがあり日本人も多く暮らしやすい。だがイスラム圏なので高い酒税が悩みの種だ。お土産に持っていった紙パックの酒と週間文春は特に喜ばれた。奥様と次はどこの国に行こうかと楽しそうに話されていた。


46.銀座 土佐料理「祢保希ねぼけ」

  • 業界団体の市場調査委員を2年経験した。委員長が高知出身なので毎年ねぼけで宴会した。銀座の郷土料理で50年続く一番古い老舗だ。冬はくえ鍋が食べられる。酒は土佐鶴、司牡丹と地酒が揃っている。個室が多いので宴会に重宝した。場所のわりにはリーズナブルだ。


47. 銀座 高級ふぐ料理「鳴門」

  • 新潟の古町旦那衆であるT社長が上京したので元支店長と接待した。新潟ではT社長に「鍋茶屋」「行形亭」を教えてもらった。祖父の代から続く料亭との付き合い方は勉強になった。T社長と芸者置屋の2階で炬燵に入りタタミ鰯をつまみに熱燗を飲んだ。T社長は慶応ボーイで銀座は詳しい。定宿は日本橋のマンダリンホテルだ。「鳴門」は銀座で80年続く老舗だが徳島とは全く関係が無い。新潟でふぐ料理はあまり食べられないので喜んでもらえた。


48.十条 「斎藤酒場」

  • 昔のお客様が赤羽勤務になり旧交を暖めた店だ。創業80年以上になる。カウンターがない。年季の入った飴色に照り輝くテーブル席だ。満席になると相席になるが皆さん陽気に飲んでいる。とにかく安い!つまみが豊富で美味い。明朗会計だ。東京の居酒屋の5指に数えられる店だと思う。お客様から赤羽の地酒「丸真正宗」吟醸酒をお土産に頂いた。23区唯一の酒蔵だ。辛口のスッキリした美味い酒だ。


49.渋谷桜丘 「鳥ハゲ」

  • 渋谷で工事をしていた頃、会社の同期が紹介してくれた。彼の慶応中等部からの友人が経営する店だ。渋谷署の裏にある。ビルの地下1階にあり若い人や女性が多い。焼鳥が美味い。刺身や鍋もありボリュームたっぷりだ。値段もリーズナブルだ。焼鳥屋というよりメニューの多い居酒屋だ。現場から帰る途中、工事関係者と何回か飲んだことがある。近くの鳥金と人気を二分している。


50.新橋 土佐料理「浪漫亭」

  • ドイツ南西部のフライブルグ市に真冬の1週間、環境の視察旅行に行った。サウナに入ったら女性が入ってきて慌てた。混浴らしい。酸性雨でシュヴァルツヴァルト(黒い森)が枯れていた。市民の環境意識の高さと教育の充実ぶりに驚いた。日本人通訳は音楽大の教授夫人で地元グルメを案内してくれた。ライン川を渡ればフランスなので赤ワインが美味い。ドイツで一番古い旅籠で食べた煮込み料理が美味かった。地下のワインセラーはローマ帝国の遺跡だった。仲良くなったFさんは環境経済学の研究者だ。1年目は銀座のケテルでヴァイツエンビールを飲んだ。2年目は代官山でフランケンワインを飲んだ。数年後、広島のピアノバー李白でJAZZを聞きながらタリスカーを飲んだ。いつも同僚の女性で中国人の学者Jさんと一緒だった。学会で東京に来た時、新橋烏森神社の近くにある「浪漫亭」で飲んだ。本店は高知市にある。割烹風の居酒屋だ。鰹が美味い。うつぼの空揚げが名物で地酒も豊富だ。本店が高知だから本場の味が楽しめる。Jさんは努力の甲斐があって九州の某国立大学、准教授になった。

酒場妄想記Ⅲ

酒場妄想記Ⅲ

蔵本 芳弘(1組)



51.京都四条団栗橋「鳥禰三、木屋町本店」祇園「梅田」

  • COP3京都会議の出展で出張した。最終日、膳所高野球部OBの先輩が「京都一美味い鶏を食わしたる」と誘ってくれた。「京都で焼鳥か〜」と思ったが幕末からの老舗の店構えに驚いた。竜馬が愛した店だ。待合室はかつて鶏小屋でお客が選んだ鶏を絞めてから料理した。名物の水炊きを食べた。最初に飲んだスープが絶品だった。四角い土鍋で鶏肉、京野菜がよく煮えて美味い。繊細な味に京都は違うなあと思った。雑炊も美味だ。夏は川床で食べられる。2軒目は先輩の親父さんからの付き合いだという祇園の茶屋に行った。2階の座敷に芸者を呼ぶと高いので1階で坪庭を眺めながらおばんざいをつまみに伏見の燗酒をぐびぐび飲んだ。酔っ払って経木を割り箸と勘違いしたら「あんさん、それ経木でっせ」と明世姐さんから白い目で睨まれた。タクシーで奈良の学園前にある兄の家まで帰った。義姉が気を利かせて湯たんぽを入れてくれた。泥酔しピクリとも動かず6時間ジックリ低温で焼いた。翌日の新幹線でくるぶしに違和感を感じた。卵大の水ぶくれだった。銀座の診療所で医者が職員を集めて「今どき珍しい典型的な低温やけどだ。みんなよく見ときなさい」と言った。医者に顛末を話したら「自業自得だな」と言われた。左足のやけど跡を見る度に京都で泥酔した夜を思い出す。


52.芦屋駅前 但馬牛レストラン「ホテル竹園芦屋」

  • ヤンマーからエンジンを買い尼崎工場で立会い試験をした。いつも泊まるのは巨人軍の定宿であるホテル竹園だ。ここの肉は美味い。川沿いのクラブで飲みながら、昔ヤンマーの創業者である山岡孫吉の伝記を読んだと話したらヤンマーの若い営業マンは知らなかった。ヤン坊マー坊天気予報の経緯も知らなかった。昔ヤンマー船に乗った漁師が嵐に会い遭難した。いくらエンジンが優秀でも嵐になると知らずに出航すれば沈没する。山岡は自分が死んでも天気予報を続けろと遺言した。後で「エンジン一代」という伝記を送ったら大変喜ばれた。営業が本社に送ったら誰も読んだことがなかったので大変感謝された。後日ヤンマーから貴重な本を頂きましてと礼状が届いた。


53.島根県美保関 「三保館」

  • 山陰出張で松江宍道湖温泉「なにわ一水」のビジネスパックをよく利用していた。代理店の社長から三保館を薦められて一度泊まってみた。乃木大将も泊まった国登録文化財の宿は素晴らしかった。北前船で栄えた町並みが残り美保神社まで続く青い石畳が美しい。部屋から見える景色が一幅の日本画のようだ。ここは海流がぶつかるので日本海でも特に魚の身がコリコリと締まって美味い。山陰の地酒も豊富だ。宿泊は新館だが屋上の天然温泉風呂からの眺めはすばらしい。本館は明治大正のレトロな木造建築で一見の価値がある。


54.仙台文化横丁 「小判寿司」

  • 仙台に出張するといつもここの座敷で宴会だった。新潟の寿司も美味いが仙台も塩釜、石巻港があるのでネタは新鮮だ。東京で食べたホヤは臭かった。ここのホヤの刺身は新鮮で美味かった。岩手県種差海岸の漁協で食べたホヤと同じくらい新鮮だ。潮の香りが口いっぱい広がり酒が美味くなる。地酒も日高見、乾坤一など地元でないと飲めない酒が多い。


55.青森市 酒肴旬「三ツ石」

  • 青森県で風力発電事業を始めるので県知事に表敬訪問することになった。常務から美味い店を探しておけと言われた。当時、青森の企業へ出張の多かった同期に教えてもらった店だ。青森市内で一番美味い居酒屋だ。小川原湖のシラウオや帆立の貝焼き、十三湖のしじみ、大間のマグロなど青森の山海の珍味が味わえる。田酒、豊盃など青森の地酒は網羅されており全国の銘酒が飲める。青森駅から近い新町通りにある小奇麗な居酒屋だ。


56.富山市桜木町 「鯛家」

  • 富山駅から歩いて10分、富山電鉄桜橋電停まえのマンテンホテル地下にある。生簀を囲んでカウンターと座敷がある。生簀からタモで魚をすくい調理してくれる。キトキトの寒ぶり、白エビ、バイ貝、幻魚と富山湾の幸が味わえる。代理店とよく飲んだ。帰りに地元人気NO1、雪見橋のたもとにある今井商店の二段重ねの鱒寿司をよく買った。電車の中で銀盤のワンカップ酒を飲みながら鱒寿司を食べるのが楽しみだった。


57.石川県小松市 寿司「秀寿司」

  • 小松空港はよく通った。小松グランドホテルが定宿だった。タクシーの運転手に美味い寿司屋を聞いたら案内された。ホテルの並びにある寿司屋だ。小松は名人と言われた弥助寿司があった。今は金沢市に移転した。小松の寿司屋のレベルは高い。空港の寿司カウンターで食べたのど黒の握りは美味かった。秀寿司ではじめてカウンターで食べたとき隣は漁師さんだった。数千万円の漁船を買う威勢の良い話をしていた。漁師が通うぐらいだからネタは新鮮で美味いはずだ。地酒の手取川純米酒がよくあう。


58.金沢市片町 割烹「浜長」

  • 金沢は料亭が多い。「つば甚」で創業家の法事が営まれる。映画「武士の献立」で描かれたが「つば甚」も包丁侍の末裔だ。料亭はめったに行けないが割烹は敷居が低い。代理店と割烹でよく飲んだ。「浜長」が多かった。太田和彦氏絶賛の店だ。片町交差点を少し下ったところにある。外観が高級な京壁造りだ。鯛の唐蒸し、金時草のおしたしなど加賀料理が手軽に味わえる。福光屋の加賀鳶や黒帯、萬歳楽白山大吟醸の上品なやや甘口の酒が加賀料理にあう。老舗クラブ「江戸弥」で県知事とかち合ったことがあった。〆は片町交差点のビル奥にあるナンチャンラーメンで名物ネギラーメンをよく食べた。木倉町の大衆酒場「大関」の金沢おでんは美味い。吉田類のTVに出た。地元居酒屋チェーンの「いたる」「あまつぼ」も全国平均よりレベルは高い。金沢は富山、福井から電車で1時間と北陸の中心だ。週末の片町交差点は終電に乗り遅れた若者が30人以上座りこみ騒いでいる。


59.金沢市寺町 鮮魚居酒屋 「寺喜屋」

  • 片町から犀川大橋を渡って右側に西の茶屋街がある。初めての出張は上司のNさんと西の茶屋街にあるホテルに泊まった。近くのスナックで飲んでるとドアの向こうから「パンパン」と乾いた音がした。ママの顔が引き攣った。翌朝、代理店で北国新聞を見たらスナックの上にある山口組の事務所にピストルが発射されたと写真入りの記事が掲載されていた。代理店の課長から西の廓で飲んではいけないと厳重に注意された。「寺喜屋」は犀川大橋を渡ってすぐ左にある。木造3階建ての1階が鮮魚店で2階が居酒屋だった。安くて美味いとTV放映されて人気がでた。打合せが早く終わり5時半からエンジニアと蟹をたらふく食った。犀川に映るネオンを眺めながら甲羅にかに味噌と熱燗を入れて飲んだ。ユーミンが気に入り二度も来店したらしい。寒ぶり、のど黒、甘えび、香箱蟹を食べるなら近江町市場よりお薦めだ。代理店の課長の同級生が近江町市場の杉本水産の社長なので香箱蟹を安くしてもらって贈り物にした。ここは泥鰌の蒲焼で有名だ。社長に教えてもらった近江町市場の源平寿司は安くて美味かった。お土産に明治8年創業、四十萬谷本舗のかぶら寿司をよく買って帰った。


60.金沢市長町 Bar「GOLD STAR]

  • 発砲事件に懲りて香林坊の東急ホテルが定宿になった。ホテルのすぐ裏に昭和32年創業の金沢で一番古いBarがある。かれこれ30年近く通っている。ある時カウンターの隣に北国新聞を退職した女性記者が座った。雑談で文学散歩部の話をした。早朝、犀川のほとりに建つ室生犀星の文学碑を地元の女子高生が箒で掃除しているのを見て文学散歩部の女子がいたく感激した。これを見て桂先生が「我が教育の成果あり」と言ったという風な話をした。話を聞いた彼女は「ほんに、いさどい(立派な)学校やね〜え!」と感激し教育論から井上靖、五木寛之など金沢ゆかりの作家論へと話が広がり楽しい夜になった。


61.難波 日本料理「島之内一陽」

  • 南海の貝塚駅前にある機械工場に何度か出張した。難波駅前のホテルに泊まった。大阪支社の紹介でお客様と飲んだ店だ。推薦されるだけあってミナミを代表する店だと思った。料理は和洋折衷の創作が多い。丁寧に手が入ってしっかり仕事してるなと感じさせるレベルの高い店だ。関西弁で若いスタッフが多いので敷居の高さを感じさせない。2軒目は法善寺界隈を飛び込みで入ったらゲテモノ料理の店だった。カウンターのショーケースを見たら鴨の首が見えた。イルカや鹿肉、熊の手がドンと横たわっていた。お客様はダムの現場が長かった。「ダムで熊鍋を何度も食べた」と言うと店の大将に「お客さん通だねえ」と言われて喜んでいた。


62.飯田橋 広島焼き「れもん屋」

  • 広島の前任者に紹介された店だ。広島修道高校のOBが都内で最初に広島焼きを始めた店だ。先輩も若い頃食べに行って忙しいと手伝わされたらしい。飯田橋の路地にありわかりにくいが弟子が引継ぎ「もみじ屋」に屋号が変わっていた。鉄板焼きで焼き牡蠣などを食べながらビールを飲んで〆に広島焼きを食べるのが広島流だ。お好み焼き専用の麺が入るのでかなりヘビーだが広島で飲んでいる気分になった。   


63.銀座1丁目 居酒屋「升本」

  • ニュースで銀座にツバメの巣がまだ3個あると報道された。40年前は柳の並木を燕が飛びかっていたのを覚えている。バブルで日本家屋がビルになり燕が激減した。銀座1丁目は最後まで昔の面影が残っていた。升本も昭和の香りがする居酒屋だ。メニューも酒もごく普通の店だ。安いのでよく飲んだ。2軒目は6丁目のパスポートに行くのが定番だった。オーナーの森さんは早稲田のESS出身だ。ママの光ちゃんは週刊誌で銀座の美人ママに選ばれた。辰己会の2次会で2回飲んだ。2年前惜しまれながら閉店した。電線音頭を踊り出入り禁止になった先輩がいた。36年通ったので思い出が充満している。閉店の時、森さんから「店の帆船模型を記念にもらってくれ」と言われた。ガラスケース入りの一抱えもある模型を抱えて新幹線で広島に帰った。千葉県の私立高校のN理事長はパスポートの常連だ。同い年なので仲良くなった。先日FM放送で声を聞き懐かしかった。東芝の営業から祖父が明治時代に創立した学校の理事長になった。「学校の常識は社会の非常識!」と学校改革をカウンターで熱く語っていた。15年以上経過し全国放送に出るほど実績が認められたようだ。まず古手の先生を企業に出向させた。理事長に嫌われ企業に放り出されたと当初はパニックになった。しかし企業が社員教育に金と時間をかけているので驚いたらしい。次は民間企業から教育に関心のある人材を募集し古い慣習に囚われず改革を進めた。毎年、県立高校と交流人事を行い互いの良いところを吸収し進学率も急上昇した。店はなくなったが常連仲間が頑張っていることは励みになる。森さんは三重の田舎で晴耕雨読の日々だ。光ちゃんは田舎暮らしが退屈で月の半分は東京で遊んでいるようだ。


64.新潟県魚沼市 秘湯ランプの宿「駒の湯山荘」

  • 7年前あまりの暑さに緊急避難した宿だ。奥只見へ行く途中にある山荘だ。ここは33度のぬるい温泉で噴水のように自噴している。化粧水として使う人もいるぐらい肌にやさしい。混浴だが女性用に布が用意されている。秘湯の会でもランプの宿は珍しい。料理は山菜、岩魚を中心にした郷土料理だ。赤い会津漆器で供される。またマタタビ酒が飲めるのも嬉しい。近くの玉川酒造は新潟で初めて雪中貯蔵酒を作った。越後武士46度という新潟で一番アルコール度数が高い酒を作っている。酒蔵見学が可能だ。豊富な温泉を利用して数年前から淡水真珠の養殖をしている。泊まれば真珠がもらえる。日帰り温泉も改装が終わり秘湯の趣が減った。だが夜は漆黒の闇でランプの灯りで大自然に囲まれて入る露天風呂は幻想的で時の経つのを忘れてしまう。


65.新潟古町 佐渡料理「たらい舟」

  • 5年前から新入社員の3人に1人は外人になった。TOEIC平均700点以上で海外留学経験者ばかりだ。3年前から全国の営業で新人研修をすることになった。昨年は韓国人だった。今年はC大法科大学院卒の女性だ。研修の最後は社長と役員全員が英語で白熱教室をする。英語が堪能でない役員はぼやいていた。彼女は「酒はたしなむ程度」と言ったが強かった。森君と行った「ささ泉」へ行くと満席だった。大将が出てきて陳謝した。お薦めの店を聞いたら「たらい舟」を薦められた。老舗鮨屋の姉妹店だから美味いはずだ。新潟の地酒がすべて飲める。岩牡蠣に初夏の枝豆「弥彦むすめ」と のど黒の刺身をつまみに新潟銘酒の飲み比べをした。2軒目は芸者置屋を改装したバー町田でワインを 飲んだ。芸者置屋は最盛期に150軒あった。いま朝ドラ「花子とアン」で注目された蓮子のモデルになった柳原白蓮の実母は古町芸者だった。 白蓮の書が古町に残っている。


66.新橋駅前「酔心酒蔵」

  • 藤沢工場の広大な敷地を有効利用するため約30年まえニック・ボロテリーテニスアカデミーを作った。(今の湘南スポーツセンター)全米を視察して作った国内最大のテニス施設だった。当時は高級会員制で長島さんがメンバーだった。杉山愛や多数のプロ選手を育てたことで有名だ。O部長は某大学のゴルフ部長で後輩に有名なプロ選手がいた。体育会の後輩でオリンピック選手を銀座でご馳走していたのを覚えている。スポーツ界に顔が利くからテニスクラブを畑違いの会社が経営することができたのだと思う。広島カープの古葉監督が銀座に居酒屋を出店したときO部長の号令で飲みに行った。古葉監督が店に来たと思ったら顔はそっくりだが背が低いので弟さんだった。わが社の広島県人は結束が固い。よく新橋駅前の酔心酒蔵で飲んでいた。O部長もメンバーだ。若い頃は日本酒に関心がなかった。広島で酔心を飲んでから好きになった。尾道のお隣、三原の酒だ。横山大観が愛しただけあって飲み飽きしない。


67.広島県竹原市「酒蔵そば処たにざき」

  • 次の朝ドラはニッカウヰスキーを作った竹鶴さんの物語だ。高田君がウイスキー竹鶴のデザインをした。東京の辰己会で高田君が「皆さん飲んでくださ〜い!」と言ったから早速ボトルをキープした。スナックのママから「あんたに言われて置いたけどデザインした人、商売知らないわねえ〜」と言われた。ボトルの両肩が軍服の肩章のように出っ張ってるのだ。「サントリーのオールドは隙間無く置けるけど竹鶴は隙間だらけで棚に1本分は損するのよ〜」と文句を言われ必死に反論した記憶がある。安芸の小京都、竹原は仕事でよく通った。頼山陽の生まれた家が残っている。塩田で財をなした豪商のアールを持たせた瓦葺きが美しい。藤井酒造の酒蔵交流館の中に本格的な手打ちそば屋がある。酒桶の蓋がテーブルだ。龍勢が飲める。竹原は吟醸酒発祥の地だ。鉄道が東広島市を通ってから寂れた。それまでは安芸の酒造りの中心だった。中尾酒造の幻・誠鏡も美味い酒だ。小笹屋竹鶴酒造は見学できる。


68.銀座1丁目 大衆活魚料理「磯一」

  • 木造2階建ての大衆食堂風だが築地直送の新鮮な魚が美味い。鮪の中落ち定食は安くて美味い!冬は牡蠣鍋、白子鍋が味わえる。魚好きには堪らない居酒屋だ。魚好きの作家が来るらしい。昔はこんな店が銀座にたくさんあった。バブル以降めっきり減った。8丁目の「いわしや」も閉店した。銀座に阿波踊りが踊れる店があった。高円寺の阿波踊りの連が店内を踊りまわる。最後はお客さんも一緒になり店内を「やっとさー」と踊れる居酒屋だ。ここで会社の城南OB会を5人で開いた。踊った後、高円寺の連の方から「お客さん上手いねえ」と言われた。「三歳から踊ってる」と鼻高々で答えた。テレビ取材され予約しないと入れないぐらい人気があったがアッという間に閉店した。


69.京橋 うどんすき「美々卯」

  • 銀座より安いのでよく関西出身者が集まって宴会した。東京駅に近いので便利だ。八丁堀に省エネセンターがあり関電から出向した理事とよく飲んだ。京橋フィルムセンターの裏にある。夏は混んでないので穴場だ。鱧料理が食べられる。
    • 閑話休題;健康診断で酒の飲みすぎに注意と言われてからウコン「酒豪伝説」を愛用している。琉球大学が開発したウコンで絶対、二日酔いしないと評判だ。東京、大阪のホステスの間で効き目が絶大だと噂が広まった。新潟でも買えるようになった。


70.銀座三原橋界隈 日本料理「治郎長」

  • 和光の時計台で有名な銀座4丁目交差点の銀座コアビルの裏にある。昭和24年創業の老舗だ。三原小路の石畳を歩くと奥に和風の店がある。夏は店先で明石の鯛を炭火焼きするが名物だ。冬はふぐ料理だ。全国の銘酒が揃っている。ミシュランの星を取った。三原橋の地下街は再開発で閉鎖になる。銀座シネパトス閉館まえに立ち会えた。銀座と思えない安い飲み屋が多く場末の感じがあったが今は懐かしい。三原橋界隈は昭和の香りがする。晴海通りの北側は老舗の二葉鮨がある。南側の三原小路は安い居酒屋が多いが治郎長と対面のお福は接待用の店で高級だ。代理店が近くにあるので何度か一緒に飲んだ。銀座は路地が多い。なかでも赤提灯に灯がともるころの三原小路が一番、趣がある。


71.歌舞伎座裏 焼鳥「ねのひ本店」

  • ばくだん定食というランチがある。テニスボール大のコロッケ風唐揚げが3個ついて¥800だ。鶏の首肉セセリと玉葱などを混ぜて揚げたものだ。焼き鳥が安くて美味い。壁中にメニューが貼られ焼鳥以外のつまみも豊富で美味い。親父二人で頑張っている。2階建て間口の狭い食堂のような店だ。ねのひはソニーの盛田さんの実家の酒だ。奥多摩の澤乃井も飲める。B級銀座メシを代表する店だ。


72.銀座「越州」

  • 久保田で有名な朝日山酒造の直営店が東銀座にできた。新橋、京橋、日本橋、赤坂、水道橋に続く6店舗目だ。直営店だけあって朝日山酒造の酒はすべて飲める。食材は寺泊漁港の鮮魚に長岡野菜や栃尾の油あげなど長岡から直送なので美味い。良心的で安心して飲める店だが混むとバイトだから料理がすぐ出てこない。空いてる時間帯がお薦めだ。越州は料理のじゃまをしない晩酌にもってこいの酒として新潟で人気がある。禄乃越州は大吟醸酒だ。晩酌で壱乃越州か弐乃越州を飲んでいる。新潟で晩生の酒米として忘れられていた千秋米を復活させて越州ができた。


73.品川駅港南口 四季と酒の蔵「稲田屋」

  • 品川勤務の頃、ランチをよく食べた。NTT品川ビル1階にある米子の酒「稲田姫」の直営店だ。今や大手町、新宿、秋葉原など都内に8店舗を構える。境港直送の魚が美味い。大山ハーブ鶏も美味い。そばも本格的だ。個室が多いので宴会でよく利用した。中岡君は品川の大林組本社ビルにいた。H11年渦の音総会の学年幹事を46年卒が担当した時、打合せで大林組の食堂を利用させてもらった。夜は酒が飲め夜景がきれいだった。H11年は124周年目にあたり、それ以上の人数を集めようと頑張った。46年卒は結束が強く徳島からも多数駆けつけてくれたおかげで120名以上の参加者があり過去最大の総会になった。3年前から総会に向けて同窓生を集める努力をした。新橋駅前の「末げん」でH10年の辰己会を開催した。28名が参加した。槙本君に「幹事として手伝ってよ」と言うと「3度目のニューヨーク勤務になるから手伝えなくてごめん」と言われた。3年後の9月11日これが槙本君の最後の言葉になるとは夢にも思わなかった。


74.品川駅ビル「MONDE Bar」

  • 品川駅アトレ4階にある。銀座が本店だ。新幹線に乗るギリギリまで飲める。駅ビルの中と思えない本格的なバーだ。出張族や会社帰りのサラリーマンでいつも満席だ。食事もでき美味い。アトレはNYスタイルで統一されていてNYのオイスターバーやロバート・デニーロが経営するレストラン「トライベッカ」も入ってる。


75.築地 鉄板焼き「Kurosawa」

  • 黒澤明監督の息子久さんの店だ。築地本願寺裏の路地にある隠れ家のような店だ。古民家を改装した黒澤映画に出てくる様な重厚な造りだ。カウンターと個室がある。コースで1万円以上だが内容、雰囲気からすればリーズナブルだと思う。お客様が広島牛のレストランを開くために銀座界隈のステーキハウスを食べ歩いた。私もご相伴に与った1軒だ。黒澤監督がスピルバークを自宅に招き神戸牛を食べさせてからハリウッドに神戸ビーフが広まった。字幕翻訳家の戸田奈津子さんの話だとトム・クルーズは成田に着くなり「コウベビーフ!」を連呼するらしい。戸田奈津子さんは私が新潟に転勤した時のM支店長の従姉妹だ。「奈っちゃんは津田塾に一発で受かった。子供の頃から頭がよかった」とよく話を聞かされた。Mさんの実弟は東宮侍従だった。名家の出だが幼少の頃は食糧難のせいかグルメというより食い意地がはっていた。私が着任早々、鮨屋で春先に獲れるイトヨという背びれに棘がある小魚と脱皮したばかりの蟹の炭火焼きを食べ過ぎ腸閉塞で1ヶ月入院した。育ちがよいのか女性にモテた。クラブでMさんがメガネをはずすとモテキ状態にスイッチが入ったとすぐわかる。わかりやすい性格だが愛嬌があった。Mさんと古町を歩いてたら「シンちゃ〜ん!」と嬌声が聞こえた。古町芸妓だった。「君も縁があったら彼女とシッポリと飲むこともあるだろう」と言われた。時代が違うのか未だかつてご縁がない。

酒場妄想記Ⅳ

酒場妄想記Ⅳ

蔵本 芳弘(1組)



76.有楽町ガード下 居酒屋「金陵本店」

  • 小松島が発祥の西野金陵の直営店かわからないが都内で数少ない金陵が飲める店だ。ガード下で40年前から頑張っている。焼鳥や定番メニューが揃っている。2階は広くて宴会ができる。新潟のM支店長を囲むOB会を毎年6人で開いている。みんな現役時代は並木通りのポルシェビルのクラブに通っていた。今は年金生活なので「金陵本店」で開催している。昔話でMさんは北京事務所の頃もモテたらしい。当時の北京の所長は橋本総理の従兄弟だ。入社した時、橋本さんは隣の課にいた。バーでよくカントリーウェスタンのジャンバラヤをギターを弾きながら歌っていた。「夏休み龍ちゃんの別荘に行かないか?」と誘われたが忙しいと断った。後年、総理になった龍ちゃんとわかり行っとけばよかったと後悔した。


77.銀座 割烹「久邇」

  • 徳島出身で様々な叙勲を受けた現代の名工、河之野栄三氏が昭和44年に並木通りに開いた割烹だ。会社の前にあるビルの地下1階にあった。入社した頃、同じ四国出身の重役に呼ばれて飲んだ時「こいつも徳島だ」と紹介された。名人と言われる京懐石料理の味わいは絶品だった。今は代も変わり銀座1丁目?に移転したらしい。


78.新橋 鰻割烹「大和田」

  • 並木通りに大和田銀座店があった。お昼にうな重をよく食べた。今はブランドビルに変身した。近くの鳥一はフェラガモになった。日本家屋の軒先で焼く焼鳥と鰻のにおいが路地に充満していた。出張帰りにチラッとのれんを覗くと鳥一のカウンターの半分はわが社の社員だった。大和田銀座店からのれんわけした新橋店は健在だ。老舗の食べ物屋がブランドショップになりレトロな建物が解体されて駐車場になっているのを見ると寂しい。


79.天王洲アイル 「TY・Harbor Brewery」

  • 自家製造クラフトビールが美味い。天王洲アイルから歩いて5分、運河沿いにある。晴れた日はデッキでビールが飲める。テレビ東京のスタジオが近くにあるせいかロケによく使われる。近くの楽水橋たもとにあるラーメン屋はタンメンが美味いと評判でよく食べた。ある時、黒塗りの車が止まり秘書らしきスーツ姿の社員2名が場所取りをしていた。席を確保してから店に社長風の人物が入って来た。何気なく見たら全日空の社長だったので驚いた。天王洲アイルから運河を渡ると品川駅は目の前だ。東北大震災の時は羽田の本社で会議中だった。広島行きの飛行機が飛んでいたので空港まで送ってもらった。着いた途端、欠航になり電車は不通、一晩空港で泊まった。朝モノレールが動くや飛び乗った。浜松町は混雑すると予想されたので天王洲で降り歩いて品川駅から新幹線に乗った。品川の高層ビルで泊まった人がぞくぞくと駅に集結していた。新幹線も行列だった。何とか乗れたが90%以上は新横浜で降りた。広島まで広い車両を一人でゆったりと座って帰った。


80.築地場外市場 「全国漁港マーケット」

  • 2014年10月下旬オープンする。新潟、北海道、高知、長崎など全国6水産会社が軒を並べる。築地には日本海側の魚が少ない。のど黒、寒ブリ、柳ガレイ、南蛮エビ、紅ズワイガニや鮭の麹漬けなどが販売される。2016年に豊洲に市場が移転された後、築地の街を盛り上げる目的でNPO法人が立ち上げた。最近、新潟の寺泊港にある魚のアメ横で有名な角上魚類が安くて新鮮だと首都圏で大人気だ。ここがオープンすれば行列ができるだろう。出店する新潟の水産会社の社長はロックバンドのドラマーだ。コーヒー卸会社社長である私の知人がボーカルで地元で活躍している。またラジオ番組でMr.マリーンとして魚のPRをしている。なかなかのやり手だ。新潟の旧魚市場に仮設店舗を出店しバンド仲間が協力して鮮魚を中心にしたお土産マーケットを作った。年間120万人が来場する。酒、米、野菜、肉、お菓子なんでも揃ってる。バリスタの淹れる雪中貯蔵コーヒーが好評だ。海鮮丼はボリュームと美味さで観光客がいつも50人ほど並んでいる。


81.品川駅港南口 食肉市場内 「一休食堂」

  • 都庁の知人が食肉市場へ異動になった。挨拶に行くと場内を案内してくれた。大と小ラインにわかれている。大は牛で小は豚だと教えてくれた。ヘモグロビンは排水処理しにくい。むかし処理できなかった血液が芝浦下水処理場に流入し酸素で曝気すると大量の泡が発生し風で飛ばされた泡が新幹線に付着し大騒動になった。会社が対面なので24時間の維持管理を依頼されたが他社製品なので丁重にお断りした。近代的な建物になったが場内に充満した臭いは消えずいつもカラスが上空を舞っていた。場内にある一休食堂に案内してくれた。もつ煮定食が絶品だった。一般人も入れるのでその後も会社の連中と食べに行った。メンチカツ、生姜焼き定食も量が多くて美味い!守衛所を入るとすぐなのでサラリーマンも食べに来るが知らない人が多い。作業員は朝の7時からもつ煮とビールを飲んでるらしい。昼過ぎの3時頃には閉店する。


82.千代田区平河町 居酒屋「大甕屋十郎太」

  • 30年来の友人で新潟市の職員が東京事務所の幹部として単身赴任した。慣れない企業誘致で苦労していた。知ってる会社を10社ほど紹介し喜ばれた。彼のオフィスに近いので案内された店だ。カウンターに備前焼の大甕がズラッと並んだ様は壮観だ。樽のような大甕で熟成した焼酎、泡盛がサーバーで飲める。食器はすべて備前焼だ。陶芸家が開いた店だから作品が展示してあり気に入れば買える。焼酎と陶芸の好きな人には堪らない空間だと思う。創作料理が美味いし安い。〆に食べた酒で柔らかくした豚の角煮ラーメンは美味かった。場所は分かりにくいが隠れ家的な居酒屋だ。文芸春秋の本社前を少し入った路地にある。


83.銀座並木通り 鮨「紀文」

  • 新橋から来ると並木通りの入り口にある。銀座で安心して鮨を食べられる店だ。築地仲卸業者が経営している。開店して40年以上になる。ここは先輩のKさんが好きな店だ。ロンドン駐在が長かった。アメリカの代表を長く務めたYさんが帰国する度、紀文で飲んだ。今Yさんは母校の新潟大学で特許を民間に橋渡しする会社の社長をしている。国立大学で最も成功した事例として文部科学大臣賞を受賞した。最近はブルボンとバイオのベンチャー企業を立ち上げた。Yさんに「大学から1kmの場所で河の水を毎秒240トン排水する世界的な工事をしているから見学しませんか」と話をしたらすぐ学長に電話し工学部の見学会が決まった。23名が見学し大好評だった。毎年夏にKさんが新潟に遊びに来るとYさんと駅前の居酒屋「柊」で一緒に飲んでいる。


84.銀座金春通り 「はこだて鮨金総本店」

  • 博品館の裏通りにある。天皇陛下に鮨を握った老舗「久兵衛」が近くにある。目と鼻の先に函館の鮨屋が出店した。その心意気が素晴らしい。開業して15年以上経つ。函館からネタと職人も交代で直送している。北海道弁が新鮮だ。30人ぐらい座れるカウンターがあり若い職人は威勢がよい。同期と飲んだとき彼の食べるペースが早すぎて「こんなに食べるのが早いお客さんは初めてです」と握りが追いつかない若い職人が嘆いていた。


85.新橋「蛇の新じゃのしん」

  • 烏森神社の近くにある老舗居酒屋だ。太宰治や坂口安吾が常連だった。新人の頃、子会社のK課長にご馳走になった。渋い店だが料理は美味い。数年後、新潟に転勤になったらKさんが「待ってたよ」と歓迎してくれた。Kさんはしょっぺ店が好きだった。新潟古町のKさん馴染の店を引き継いだ。東京に戻ってからも仕事で関係があり「蛇の新」の2階で飲んだ。面倒見のよい後輩から慕われる人だった。定年前に病気で亡くなった。弔問客と弔電の多さに驚いた。「お前はKさんと付き合いが長いからこの弔電は誰かわかるか?」と聞かれてもわからないのが多かった。Kさんが新潟から本社に戻る時、個人的に親しい新潟市役所の友人に「Kさん東京に戻るようですね」と言われ驚いた。彼の上司とKさんは古町の居酒屋で飲み仲間だったらしい。公私にわたり付き合いの幅の広い人だった。


86.日比谷 鰻「炙り一徹」

  • 日比谷シャンテでたくさん映画を見た。その後、よく食べに行った店の一つだ。開店して十数年経つ。有楽町から新橋まで線路沿いに飲食店が並んでいる。その真ん中あたりにある。宝塚や日生劇場があるので芸能人が来る店が多い。スープ炒飯で有名な慶楽の並びにある。ここはブランド養殖鰻「坂東太郎」の直営店だ。利根川の天然鰻に近い味と評判だ。駒形の「前川」や四つ木の「魚政」でも扱っている。立ち食いうどん屋のように狭い店だが2階もある。直営店なのでうな重は美味いし安い!


87.日比谷 鹿児島物産館「遊食豚彩いちにいさん」

  • 銀座周辺は全国の物産館が集まっている。その中で北海道、沖縄と並ぶ成功例が鹿児島県だ。1階で物産販売し2階がレストランだ。薩摩の黒豚料理が美味い。さつま揚げは本場と変わらない味だ。焼酎も品揃えが豊富だ。日比谷映画街の前なので映画を見た後でよく立ち寄った。


88.銀座コリドー街 海鮮料理「淡路島を喰らえ」

  • レンガ造りの新田ベルト本社のクラシックなビルが近代的なビルになった。2階のレストラン街に淡路島を活性化させるNPO法人が立ち上げた店だ。同僚とフラッと入ってみた。鳴門海峡の鯛、蛸など魚介類をザルにのせて見せてくれる。刺身、焼き魚、煮付け何でも美味しい。淡路島名産の玉葱を丸ごと溶岩の上で焼くと甘い。お薦めの一品だ。全室が個室になっている。飲んで食って¥5000だから良心的な店だ。


89.銀座交詢社 鉄板焼き「かいか」

  • 溜池にステーキハウスを出したお客様と行った店だ。交詢社は福沢諭吉が創立した日本初の実業家が互いに親睦するための会員制倶楽部だ。昔のビルは茶色のレンガ造りで趣があり銀座のランドマークだった。1階のピルゼンというビアホールはよく通った。隣にサンスーシーという老舗バーがあった。2軒とも今はない。正面玄関をファサード保存し近代的なビルになった。4階のレストラン街にある「かいか」は松阪牛認定の店だ。コースで¥13,000は場所と内容からみてお得だと思う。


90.銀座サッポロライオン

  • 新人のころ同期の女性と一緒に男女6人でよくランチを食べに行った。サッポロビール本社の1階はビアホール「ライオン」だ。創業80年になる。ヨーロッパから取り寄せた建材で作られている。天井が高くてドイツのビアホールを彷彿とさせる。ビール付きランチをワイワイ食べていると総務部長に見つかった。怒るとゆで蛸のように真っ赤になるのでタコちゃんという渾名だった。タコ部長からお目玉を食らった。藤沢工場のグランドで開催される運動会は藤沢市民に公開されており1万人の人出で屋台も出る大運動会として地元で有名だった。各部門対抗の応援合戦で同期の女性が振付けた「私の彼は左利き」を踊った。これを見て某重役は「わが社の将来は大丈夫か」と隣の人事部長に「どんな採用してんだ!」と雷が落ちた。同期の女性はみな美人で積極的だった。当時の制服はダサくて同じビルに入っているサンモトヤマのバーゲンセールで入店を拒否されたと総務部長にデザイン一新を陳情した。同期の女性のデザインが採用された時はその行動力に驚いた。アグネス・ラムそっくりのSさんは総合商社に人気があった。よくご指名で書類を届ける電話がかかっていた。Sさんは同期のエンジニアと結婚し今や常務夫人である。わが同期は仲がよかったのか5組が同期結婚した。


91.門前仲町「魚三酒場」

  • 新潟から東京に戻り数年間、ペットボトルリサイクル施設や臨海スーパーエコプラントの打合せで中央防波堤内の東京都清掃研究所によく通った。豊洲からタクシーで往復する。夏の暑い日は技術屋さんと門前仲町まで行き生ビールを飲んだ。門前仲町はどの店で飲んでも美味くて安い。魚三酒場は魚が美味い。1階から3階まである。6時にはカウンターは満席になる。テンポよく注文しないとおねえさんは忙しいので他の客の注文を受けにスッと居なくなる。風力発電の仕事をしていた頃、自然エネルギーのシンボルである風車を都内に建てたいと東京都から相談された。車で建設に適した葛西から若洲まで臨海部を探しまわった。中央防波堤内のごみの埋立地に風車2本を建てる企画書を作った。ごみの埋立地なので70m地下までN値が0に近い豆腐のような軟弱地盤だ。風が弱く地盤が軟弱なため基礎工事費が膨大になるため事業化に参加しないと決めた。民間企業の事業採算性をよくするため都は土地の無償貸与、税金の減免措置を提示し事業化を再三お願いされたが固辞した。某国策電力会社が発電事業をすることになった。飛行機が中央防波堤の上空を旋回する時、風車2本が回っているのを見ると夏の暑い日に埋立地を歩き回り、帰りに門前仲町でビールをみんなで飲んだことを思い出す。


92.那覇市 沖縄家庭料理「山猫屋」

  • 県庁に近くて沖縄銀行の裏手にある。沖縄No1のゼネコン国場組が対面にある。国際通りの裏筋なので観光客は少ない。転勤族や地元客に長年愛されてきたレベルの高い店だ。久米島に建てた風車が台風のたびに故障し沖縄電力によく説明に行った。ほとんど日帰り出張だった。たまに泊まると営業所に近い山猫屋で沖縄料理と泡盛を飲んだ。営業所のS君の話だと泡盛は全銘柄が網羅されており小さな離島で作られる希少な泡盛も飲めるらしい。沖縄営業所が閉鎖され広島でS君と仕事をすることになるとは思いもよらなかった。


93.大宮駅前 大衆酒場「いづみや本店」

  • この10年間で新潟駅前から半数の支社支店が消えていった。ビルは空き室だらけになった。大宮の関東支社管轄になった会社が多い。大宮への日帰り出張が増えた。大宮駅東口を出たところにある「いづみや本店」は2000円あれば飲んで腹一杯になる店だ。昼間からオジサンがコップ酒を飲んでいる。今どきハムカツでビールが飲める店は貴重だ。新幹線に乗るギリギリまで飲めるので重宝している。


94.千葉駅前 割烹「駿河」

  • バブルで塩漬けになったゴルフ場用地に風車を建てたいという話が千葉の支店長からあった。ゴルフ場は風が弱いので風力発電に不向きですと電話でお断りした。だが大事なお客様なのでどうしても来て欲しいと懇願された。足を運び諦めてもらった。無駄足を運ばせたお詫びにご馳走してくれた。そごうの近くにあり、ビルの谷間にひっそりと佇む風情のある割烹だ。美人の若女将が気持ちよく迎えてくれる。銚子直送の鮮魚に千葉産の新鮮な野菜で作る料理はどれも美味い。


95.立川駅南口 居酒屋「かぶら屋」

  • 米軍立川飛行場の返還で駅の北口が大規模に再開発された。ある施設に太陽光発電を取付けた。土埃の舞う広大な更地に建つ現場によく通った。立川営業所のN君は新潟で一緒だった。帰りに立ち寄った。4mも積もる雪の中、営業で苦労した昔話をしながら飲んだ店だ。かぶら屋は立川の有名店だ。黒い出汁のおでんに驚くが食べてみると美味い。また名物のもつ煮込みが美味い。N君の話だと八王子の食肉市場から直接仕入れてるから鮮度がよく一度食べたら他の煮込みは食べられないらしい。


96.八王子駅前 酒蔵「一平」

  • 30歳のころ八王子を流れる浅川の近くの現場で仕事をした。大規模な工事だった。当時は竣工した時はお祭り騒ぎで現場の仲間と八王子を飲み歩いた。駅前にある「一平」は60年以上続く老舗で昼間から飲める。煮込みは驚くほどボリュームがある。八王子を代表する大衆酒場だ。


97.吉祥寺ハモニカ横丁 餃子「みんみん」

  • 戦後闇市のまま再開発から取り残されたハモニカ横丁で飲むには土地勘がないと入りにくい。「みんみん」は入りやすい店だ。仕事帰りに途中下車し餃子でビールを飲むのは最高だ。もっちり具沢山の餃子とビールを飲んで¥1000ポッキリ。小腹を満足させるには十分だ。


98.武蔵溝の口駅前 焼鳥「たまい本店」

  • 溝の口駅前ビルで買物した帰りに飲んだ店だ。「たまい」は溝の口を代表する居酒屋だ。「金運つくね」という卵付きつくねが名物で美味い。いつも混んでいるので早めに入らないと座れない。駅周辺に店舗を増やしているが本店が一番、大衆酒場として雰囲気がある。


99.東急東横線、武蔵小杉駅前 岩手郷土料理「でくのぼう」

  • 20代の頃、お客様が常連の武蔵小杉にあるスナックで飲んだ。隣に座ったホステスに名刺を渡すと「妹が川崎工場でお世話になってます」と言われ驚いたことがあった。武蔵小杉で途中下車して飲むことが多かった。酒好きの仲間と府中街道沿いにある「でくのぼう」で飲んだ。岩手出身のご主人が目利きする三陸直送の魚は美味い。南部美人など岩手の地酒は全て飲める。


100.東急東横線、元住吉駅前 居酒屋「海味」「シフク」

  • 元住吉の単身者用マンションに1年居た。マンションの対面に料亭があった。北の海の奥さんの実家で横綱の等身大の写真と化粧廻しが飾られていた。今はパチンコ屋だ。マンションに近い「海味」で大阪から単身赴任のHさんとよく飲んだ。ここは魚の活きが良い。今も単身赴任中のHさんに聞くと日本酒にこだわった居酒屋が近くにできたらしい。若いご主人が全国の醸造所を廻って直接仕入れている。奈良が自宅のHさんは奈良の地酒に淡路の鱧を食べて大感激した。居酒屋「シフク」という店だ。夫婦だけで切り盛りする雰囲気の良い店らしい。ここでHさんと飲んでみたい。



(あとがき)
佐渡が見える浜辺で冷酒を飲みながら手垢のついた俳句だが一句ひねった。

  • 風をうけて澄みきる涼し酒


ほんの軽い気持ちで書き始めた。50軒でやめるつもりが300軒も書くとは本人もビックリ!ネタ切れです。
これにて筆をおきます。
愛読?していただき感謝します。
また無断で22名の皆様の名前を書きましたことを深くお詫び申し上げます。
ご参考まで索引リストを作成しました。
すでに数軒が閉店し寂しいかぎりです。

※蔵本君の「全国、お勧めの店」・「新々居酒屋解釈研究」・「酒場妄想記」の地域別索引リストは、
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